サン・ジェルマン・デ・プレの人々
第二次世界大戦直後の
パリ、サン・ジェルマン・デ・プレ。
サルトル、ボーヴォワール、カミュ、
コクトー、ボリス・ヴィアンといった人たちが
夜な夜な狂騒を繰り広げた。
輝くような才能が
同じ時代の、同じ場所に集まったことを、
わたしたちは「奇跡」という言葉以外に
表現することができない。
ボリス・ヴィアン 日々の泡①
ボリス・ヴィアンはつかみどころのない男。
小説も書けば、トランペットも吹く。
歌も歌うし、俳優もこなす。
劇作家、ジャズ評論、エンジニア、
挙げればきりがない。
つかみどころのなさは彼の作品にもあてはまる。
「最も悲痛な恋愛小説」と評される、
代表作『日々の泡』。このタイトルは原題の
「L’Ecume des Jours」を訳したもの。
しかし、この「L’Ecume des Jours」という言葉、
読みようによってはこんな意味にも受け取れるという。
奇妙で不自然なつくり話
ボリス・ヴィアンという男、やはりつかみどころがない。
レーモン・クノー ドゥ・マゴ賞
フランスの文学賞「ドゥ・マゴ賞」は
若者たちの反抗心から生まれた。
1933年、作家レーモン・クノーは
小説『はまむぎ』を発表する。
のちのヌーヴォー・ロマンの先がけとなる
前衛的な作品であったが、
フランスの文壇からは黙殺された。
クノーの友人たちはこれに憤り、
フランスでもっとも権威のある
「ゴングール賞」の発表と同じ日に
クノーただひとりに与える文学賞を新設した。
賞の名前は、そのとき集まったカフェの名前から。
1300フランの賞金は、
13人の友人たちがひとり100フランずつ
ポケットマネーを出し合った。
こうして設立された「ドゥ・マゴ賞」は
その後数々の若い才能を発掘し、
現在ではゴングール賞と並んで、
フランス文学の最高峰と讃えられている。
若者たちよ、反抗しよう。何かを創り出すために。
ボリス・ヴィアン 日々の泡②
最愛の恋人と結婚したばかりの少女。
その少女の肺に、ある日睡蓮の蕾が宿る。
その蕾が膨らみ、花を開かせるにつれて、
少女に死期が近づいてくる。
ボリス・ヴィアンは小説『日々の泡』で、
ヒロインにこんな悲しい運命を背負わせている。
彼は言う。
人生で大事なのはたった2つしかない。
ひとつはかわいい少女との恋愛。
もうひとつはデューク・エリントンの音楽。
彼が描く愛は、儚く、そして美しい。
ジャン・ポール・サルトル カフェ・フロール
時は1942年。
サン・ジェルマン・デ・プレのカフェ
「フロール」で黙々と原稿を書き続ける男。
その男こそが20世紀を代表する哲学者、
ジャン・ポール・サルトル。
そんな彼も、しかし、
店にとっては必ずしも上客ではなかったようだ。
1杯のコーヒーで閉店まで粘る。
分厚い資料を広げてテーブルを占拠する。
彼あての電話が店に頻繁にかかってくる。
サルトルは振り返る。
店の主人はいつもぼやいていたよ。
「できるだけまずい物を出すようにしているのに、
それでも毎日やってくる」ってね。
『存在と無』。
世界中に実存主義ブームを巻き起こしたその哲学書が
カフェのテーブルで書かれたのならば、
わたしたちは今、店の主人に感謝しなければならない。
レーモン・クノー 地下鉄のザジ
『地下鉄のザジ』は1960年に制作された
ルイ・マル監督によるコメディ映画。
作家レーモン・クノーが書いた原作小説も
映画に劣らずユニークだった。とくにその文体が。
当時のフランスでは、
正統な文語体で書くのが正しい小説。
しかしクノーは文法に縛られない口語体で
自由に小説を書いた。
「実写化不可能」というキャッチフレーズは、
ハリウッド映画に限ったものではない。
『地下鉄のザジ』の文体を映像化するのも、
ある意味では不可能である。
サルトルとボーヴォワール 契約結婚
ジャン・ポール・サルトルと
シモーヌ・ド・ボーヴォワールは
ソルボンヌ大学を卒業後、
2年間という期限付きの結婚をする。
哲学に一生を捧げたふたりは、
男女関係の在り方についても考え続けた。
そのふたりは今、モンパルナスの墓でともに眠る。
もちろん、期限はなしで。