細田高広 10年05月15日放送


つくる人の言葉1 ル・コルビュジェ

高層ビルが乱立した、1930年代のニューヨーク。
その風景は「空を切り裂くもの」
という意味でSkyscraperと名付けられた。
日本語でいう、摩天楼。

当時、高層ビル群を見た誰もが
「高すぎる」と口にした。
だが、ただひとり建築家ル・コルビュジェだけは
真逆のことを思っていた。

摩天楼は、小さすぎる。

空だけでなく、地上を観察したコルビュジェは
ビルの下に広がる交通渋滞や、
スラム街を見逃せなかった。

摩天楼をもっと高くすれば、
住む空間が広がり、公園ができ、
交通網が整理できる。そう考えたのだ。

彼の志と比べれば、たしかに摩天楼は小さすぎる。


着つくる人の言葉2.フランク・ミュラー

挑戦するのに、年齢なんて関係ない。


そう口にする人は多いけれど。
スイスの時計師フランク・ミュラーほど
説得力をもって語れる男を知らない。

彼は言う。

 挑戦するのに、年齢なんて関係ない。

 だいたい時間なんて、

 人間が勝手に作ったもの。

 私は時計師だからよくわかる。

時間を忘れよう。年齢を忘れよう。
ぜんぶ、人がでっちあげたものだから。

「高齢社会」なんていう呼び名が、
日本の元気を奪っているのかもしれない。


つくる人の言葉3  イサム・ノグチ

日米のハーフとして生まれた
イサム・ノグチは長く悩んでいた。
100%のアメリカ人ではない。
100%の日本人でもない。
自分が不完全な存在に思えてならない。

だからイサム・ノグチは、
国籍も国境も関係ない「芸術」の世界に
居場所を見つけようとした。
彼は自らの彫刻作品について、こう語っている。

 もし、誰かが文句を
 いったらこう言ってください。
 完璧なものは面白みに欠ける。

その言葉は、「自分自身」にも
向けられているようだ。


つくる人の言葉4 ヴィダル・サスーン

ヘアデザイナーという職業を確立し、
美容界を席巻したヴィダル・サスーン。
彼の人生も、初めから華やいでいたわけではない。

5歳の時に父が家を出て、一家は困窮する。
シャンプーボーイとして働き始めたとき、
ヴィダルはまだ14歳だった。

そんなヴィダルは、26歳で自分の店を持ち、
洗ったままで髪型が整う技術を発明。
さらにミニスカートの流行とともに
彼がデザインしたショートボブが世界的にブレイク。
いつしか女優やセレブから大評判になった。

人生年表だけ見ると、
あっと言う間に成功を収めたかのよう。

だが、ヴィダルは言う。

 「成功」が「努力」の前に来るのは、辞書だけさ。

さすがは美の専門家。
汗と努力の人生だって、
見とれるほど美しく見せてしまう。


つくる人の言葉5  ルイス・バラガン

建築界のノーベル賞と呼ばれるプリッカー賞。
その授賞式でルイス・バラガンは言った。

 建築家の使命は、
 静けさに満ちた住まいをつくることなのです。
 静けさは、苦悩や怖れを真の意味で癒します。

悩みや孤独は、
きっと誰もが抱えているもの。
解決できるのは、結局、自分ひとりしかいない。
だから、バラガンは悩みと向き合える
「静寂」を設計した。

東京で今、
設計されるべきものは
静けさなのかもしれない。


つくる人の言葉6  東孝光(あずま たかみつ)

建築家の仕事を思うとき、
いつも考えることがある。

地球の上にびっしり建築が並ぶ今、
新しい建築なんて
生み出せるのだろうか、と。

建築家、東孝光の言葉は
そんな問いは無意味だ
と教えてくれる。

 美しい空間は、人々の夢のなかに、
 いつでも存在する。
 建築家は、それを引き出し、見せてあげればよいのだ。

新しい建築の図面は、住む人の頭の中にある。


着つくる人の言葉7  ジミー大西

99%の努力。1%のひらめき。
エジソンが残した発明のレシピだ。

新しいアイデアを見つけたいなら、
ひたすら努力せよ。
エジソンは何て酷なことを言うのだろう。

しかし。お笑い芸人から
画家になったジミー大西は
この有名な言葉に新しい解釈をくれた。

 あれは誰かが英訳間違えてるんとちゃいますか?
 僕は99%の遊び心で1%のひらめきやと思いますよ。
 誰が99%も努力します? しませんよ。
 僕は楽しんだ思いますよ。

確かに。好きなものに夢中になるとき、
「努力している」なんて思わない。

大好きなものがある人は皆、
天才になるチャンスを持っている。

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