三島邦彦 10年07月11日放送
哲学者からひと言/大森荘蔵
見るもの、聴くもの、感じるもの。
世界のすべてを疑うところから、哲学は始まる。
戦後の日本哲学界の巨人、大森荘蔵(おおもり・しょうぞう)は、
ある日の対談で、哲学者の素質について聞かれた時、こう語った。
哲学をやるというのは極端に言えば一種の病気で、
健康な人間がちょっと気にするだけのことがどうしてもとことん
気になる因果な病気だとお取りくださっていいんじゃないかと思うんです。
哲学の巨人が世界を疑う姿勢は、とても謙虚だった。
哲学者からひと言/マルクス・アウレリウス
その男を、
劇作家オスカー・ワイルドは「完璧な男」と呼び、
哲学者ヴォルテールは「もっとも偉大な男」と呼んだ。
皇帝にして哲学者。
第16代ローマ皇帝 マルクス・アウレリウス。
昼は皇帝として、巨大なローマ帝国を治め、
夜は哲学者として、自らの思考を書き記した。
読書と瞑想を好んだアウレリウス。
政治を行い、軍を率いるよりも
純粋な哲学者として生きたかった。
けれど、多くの難題を抱えたローマ帝国の皇帝として、
責任を放棄するような人間でもなかった。
圧倒的な権力を持ちながら、
暴君にならなかったアウレリウス。
そこには、徹底した自分への厳しさがあった。
例えば、こんな一文を残している。
善い人間とはどういうものかを論ずるのはもういい加減で切り上げて、
そろそろ善い人間になったらどうだ。
2000年ちかく経った現在でも、
思わず背筋が伸びるような言葉です。