天才とは集中力だと思う。
かのニュートンも、
ひとたび研究に没頭すると
部屋に閉じこもったきり
食事もろくに取らなかったという。
秘書は自分の務めた5年間で
ニュートンが笑うのを
一度しか見たことがなかった。
その一回は
誰かがこう尋ねたときだった。
「ユークリッドの幾何学なんて
何の役に立つんだ。」
ニュートンは、何も言わずに
ニヤリとほくそ笑んだ。
いまでも数学は
この世界を書き記すたったひとつの方法である。
数学者とは執着だと思う。
アイルランドの生んだ天才数学者、
ウィリアム・ハミルトン。
彼はその生涯を、
数学と、ある一人の女性に捧げた。
19歳で恋に落ち、
彼女が他の男性に嫁いでもなお
手紙を送り、詩を贈った。
彼女が死の床についたとき
ハミルトンは30年ぶりに会いにいく。
「憶えているでしょうか
ずっと昔のあのできごとを。
忘れられない思い出が
今もあるかと知りたくて。」
ハミルトンはこの執着で数学に挑み
そして数学は彼を受け入れ、名声を与えた。
1885年8月14日、
日本で初めての特許が認められた。
第一号の商品は「サビ止め」。
富国強兵真っただ中、造船に励む日本。
しかし鉄で出来た船はすぐ船底が錆びてしまい
6ヶ月ごとに塗装をしなおさなければならない。
これは世界中の船に共通する悩みだった。
そんな中、
船底のサビを止める方法を思いついたのは
学者でも技術者でもなく
工芸家、堀田瑞松(ずいしょう)だった。
刀の鞘塗りの家に生まれ、
漆の扱いには慣れていた瑞松。
なんと、
漆に生姜と渋柿を混ぜるという
斬新な手法でサビ止めを作り上げた。
日本の伝統工芸を担う人は
実は最先端の科学者だったのだ。
ロックというものがまだ
危険な存在でしかなかった時代。
一つのバンドが
怠惰な時代の流れにくすぶる
若者の狂気を集めた。
村八分。
名前からして穏やかならないそのバンドは、
ストーンズ顔負けの轟音ギターと
京都弁まるだしの生々しい歌詞で
「伝説」の名を欲しいままにした。
ギターの山口冨士夫は言う。
「ロックは音楽じゃない
ロックは生き方の話なんだ」
ロックフェスという名のお祭りが
夏を彩るようになって10年。
色とりどりのタオルを首に巻いた若者たちが
楽しそうに歌い、踊る。
どこまでも平和な近ごろのロックを
少しだけ物足りなく思うのは
青すぎる空のせいだけではないはずだ。
8月のコーラには
魔物が住んでいる。
子どもの頃は、そう信じていた。
コカ・コーラの創業者、
ジョン・S・ペンバートン。
彼がコカ・コーラを発明した時に
特許を取らなかったのは有名な話。
特許を取るためには材料と製法を
公開しなければならない。
そんな危険を冒さなくても
誰にもこの味は真似できないという
確信がペンバートンにはあった。
その通り。
120年たった今でも
その魔物は魔物のまま、
8月の少年少女の喉元を
つかんで離さない。
“ウォール街の投機王。”
“ポンドの空売りでイングランド銀行を破産させた男。”
ハンガリーに生まれ、
その類まれな金融センスで
史上最高額の利益を叩きだしたジョージ・ソロスの言葉がある。
「仮説が利益を生む。
しかし、仮説に欠点を認めると
私はほっとする」
なるほど。
人生は、大胆と無謀を
はきちがえちゃいけない。
常にリスクを意識すべし。
この国のリーダーたちを見ると
強いリーダーというものを
考えてみたくもなる。
オットー・フォン・ビスマルク。
ドイツ帝国初代宰相。
またの名を「鉄血宰相」。
ニックネームがすでに強い。
卓越した外交手腕と冷静な判断力で
バラバラだったドイツをひとつにし
果てはヨーロッパをもまとめ上げた。
しかし死ぬ間際、最後に遺した言葉は
政治とは関係のない、妻への想いだった。
「愛するヨハナにまた会えますように」
本当のリーダーとは
こういう人なのかもしれない。