現在活躍している多くのフラ指導者を育て、
「フラの母」とも呼ばれるマイキ・アウイ・レイク。
彼女が、生前いかに魅力あふれる、愛された女性だったかを
知る手がかりは、フラソング『プア・リリレフア』の中にある。
あなたはどこに
リリフレアの花よ
大切なあなたを想う気持ちで
僕の頭はいっぱいだ
今も歌い継がれ、踊り継がれるこの切ない名曲は、
ひとりの男性からマイキに捧げられた、ラブレターなのだそうだ。
「彼らの視線はさまざまなものの間を
きょろきょろと動き回った。
見慣れない物を前にした時のそのふるまいを見ていると、
彼らが驚嘆していることは歴然とわかった。
かつて一度も船という物に乗ったことがないのは明らかだった」
1778年、ハワイ諸島に上陸したキャプテン・クックは、
島の住民たちの様子をそう記録している。
初めて出会うヨーロッパ人たちに、ハワイの人々は友好的だった。
最初はカヌーで、おそるおそる艦隊の船を遠巻きにしていたが、
翌日になるともう、船の中に乗り込んでいったという。
彼らが最初に取り引きしたものは、
真鍮のメダルと一尾のサバ。
この出来事を境に
やがて、ハワイの歴史は大きく変わっていくことになる。
ギターの弦をゆるめて、独特の響きを作り出す
「スラッキー・ギター」。
19世紀末に、ハワイのカウボーイたちが好んだ演奏方法だが、
やがて衰退。それを復活させたのが、ギャビー・パヒヌイだった。
1955年、ハワイ語で歌った『ヒイラヴェ』が大ヒット。
ネイティブ・ハワイアン文化の復興をねがう人々に
ギャビーは熱烈な支持を受けた。
音楽での成功が、経済的な成功に結びつくことはなく、
生涯、建設現場の労働で生計を立てていたというギャビー。
同時代のミュージシャンたちに尊敬され、愛され、
いつも、たくさんの人たちに囲まれていたというギャビー。
彼の音楽はいま、世界的に高く評価され、
ギタリストになった彼の息子スィロにも、その魂が受け継がれている。
ハワイアン・ヒストリー
〜ナイノア・トンプソンと、ホクレア号
星と太陽。風と、うねり。海面の色や、空を飛ぶ鳥など、
自然が与えてくれるサインだけをたよりに大海原を航海する
「スターナビゲーション」。
古代ポリネシア人が数千年前から継承してきたこの伝統航海術で
<ホクレア号>は、いくつもの航海を成功させてきた。
最新の技術に頼らずに、あえて古来の技に従い、昔ながらのカヌーで漕ぎ出す。
クルーとして乗り込むハワイアンたちにとって、それは勇敢に海を渡って世界
を広げてきた先祖の文化の継承であり、その精神を学ぶこと。
「この世の中で起こっているドラマの、その向こうを見ることが
できる人間が必要なんです」
そう語るのは、ホクレア号の航海士、ナイノア・トンプソン。
「伝統を蘇らせるのは大事だが、それを教育によって次の世代に
伝えるのは、もっと大事だ」
「それが、ホクレア号の航海の、本当の目的だ」
今、ハワイの若い世代にとって、クルーになることは憧れ。
オアフでは今日も、選ばれた候補たちが、次の航海に向けた
厳しく長いトレーニングを積んでいる。
女も、バナナを食べていい。
男と女は、一緒に食事をしてもいい。
それまでハワイにあった宗教的なタブーを変えたのは、
カアアフマヌという女性だった。
大王の21人の妻の中で最も愛され、信頼されていたという
彼女は、まず自分でそのタブーを破ってみせた。
民衆も、この変化を受け入れた。
タブーを破っても、雷は鳴らなかったし、
神の怒りが下ることがなかったから。
1819年。ハワイの近代化が始まろうとしていた頃の話。
「醜いと呼んでもいいほど勇猛な顔立ち。だが、非常に知的で
観察力に富み、良い性格をしている」
ハワイに上陸したキャプテン・クックの部下、ジェイムズ・キングは、
当時、青年だったカメハメハを、こうあらわしている。
1753年頃、ハワイ島の北部で生まれ、
ずば抜けた体力と知力で頭角をあらわしたカメハメハ。
のちに、歴史上はじめてハワイ諸島の統一を成し遂げ、
ひとつの王朝をつくりあげた彼の写真は、残っていない。
銅像や肖像画はいくつも残されているが、どれも顔が違う。
戦いのないハワイの黄金時代を築き、
民衆からも愛されたという王は、どんな顔立ちをしていたのだろう。
1819年5月8日、カメハメハは世を去った。
墓所は秘密にされ、今も知られていない。
あの、有名な『アロハ・オエ』。
作曲したのが、ハワイ王国最後の女王だということは
あまり知られていない。
リリウオカラニ。
彼女が、王であった兄のあとを継いで即位したとき、
力を増しつつあったアメリカ勢力によって、
ハワイ王国は崩壊寸前だった。
1895年、ハワイの復権を試みて、武力蜂起が起きるが、
簡単につぶされる。リリウオカラニは、白人勢力に対する
反乱の首謀者として逮捕され、軟禁された。
ハワイ王国の滅亡。
そんな激動の人生の中で、
リリウオカラニが残した『アロハ・オエ』。
別れを歌うこの曲は、
アメリカへ吸収されていく祖国への悲しみの歌ともいわれている。
甘い記憶が私に帰ってくる
過去の思い出が鮮やかに蘇る
親しいものよ、おまえは私のもの
おまえから真実の愛が去ることはない
アロハ・オエ、アロハ・オエ