「エリーゼのために」という曲は、もともと
「テレーゼのために」だったという説がある。
エリーゼとは誰かについてはいろいろ取り沙汰されているが
ベートーベンの主治医の姪である
テレーゼ・マルファッティという説が有力だ。
ベートーベンは40歳のときに
18歳のテレーゼに結婚を申し込んでいるし
なによりその楽譜を所持していたのが
テレーゼ・マリファッティなのだから。
ではなぜ、テレーゼがエリーゼに?
悪筆で名高いベートーベンが書いた作品のタイトルは
ドイツで筆跡鑑定をしてみた結果
エリーゼともテレーゼとも読めるそうなのだ。
ベートーベンは悪筆に屈することなく
女性に手紙を送り、曲をささげている。
ところで、ベートーベンの生涯にはもうひとりのテレーゼがいる。
こちらは伯爵令嬢のテレーゼ・フォン・ブルンスウィク。
美しく才気にあふれ多くの人々を魅了したといわれる女性だ。
こちらのテレーゼに捧げられた曲は
「ピアノソナタ24番 テレーゼ 作品78」というタイトルで
幸いに名前も読み間違えられずにテレーゼのままだ。
のびやかでエレガントなその曲は女性が弾くのにふさわしいが
少女たちの人気はエリーゼに傾いている。
ひとりぼっちにならないために、
ケータイを握りしめる、
孤独にならないようにしても、
ふと一人になったときに、不安はこみあげてくる。
劇作家の鴻上尚史は、
孤独と向き合う方法を教えてくれる。
人間は、一人でいるときに成長するのです。
一人は少しも悪くない。恥ずかしくない。みじめじゃない。
一人になりたいと思って一人でいることは、
とても快適なことだ
とあなたは、胸を張って、自分自身に言えばいいのです。
そう思うことで、
無理に話を合わせて愛想笑いをしなくなり、
30人に一人の本当の味方に出会えると、鴻上は語る。
明日は日曜日。
携帯電話を忘れて、
一人でふらっと出かけてみませんか。
60歳を越えてから、
ピアニストとして活躍のときを迎えたフジ子・ヘミング。
天才少女と呼ばれ、
日本で脚光を浴びていた彼女は
留学のときに国籍がないことが発覚。
その後、難民としてベルリンに留学し
優秀な成績をおさめたが
最大のチャンスを前にして聴覚を失ってしまう。
突然中断されてしまった演奏家としてのキャリア。
しかしフジ子はあきらめなかった。
働きながら耳の治療をつづけ
ピアノ教師の資格を得た後は、
ピアノを教えながら演奏活動を再会するようにもなった。
一流演奏家への道は
二度と開かれることはないはずだった。
しかし、1999年
フジ子・ヘミング67歳のときにチャンスがやってきた。
数年前に日本に戻っていた彼女のドキュメントが
テレビ番組として放送されたのだ。
その番組のなかでフジ子・ヘミングはピアノを弾いた。
その姿にも音にも
フジ子・ヘミングの人生がにじんでおり
それ見て涙した多くの人がフジ子のファンになった。