ローマのカメマン、リーノ・バリッラーリ。
人は彼を、<キング・オブ・パパラッツィ>と呼ぶ。
ゴシップ写真を専門とする職業柄、カメラを向けたスターたちから
暴力を受け救急車で担ぎこまれること160回。
憤ったスターたちにしょっちゅう壊されるから、カメラの機材はいつも新品。
そんなリーノが、これまでに世界に放ったスクープは数知れず。
身体を張った仕事ぶりはリーノ自身の存在を伝説化した。
取材相手から毛嫌いされるのが常だが、それだけでもないらしい。
「パパラッツィは、イタリアのマスコミ界では真の意味でのフリーランスだ」
「命令されるボスなど必要ない、自分の勘だけを
頼りに生きる、孤独を愛する一匹オオカミ」
そう賛辞を贈ったイタリア映画の巨匠フェデリコ・フェリーニも
リーノが友情を育んだスターのひとり。
「パパラッツィという仕事は、体を張った危険な仕事。
しかし生まれ変わってもまたぜひパパラッツィでありたい」
そう語るリーノの伝説は、今日も続く。
ローマにある<ロザリーナの店>といえば、
美貌の女性、ロザリーナ・ダッラーゴの靴磨き専門店のこと。
もともと尋常ではない靴マニアだったという彼女は、
ある日、自分の靴を磨いてくれる名人を探しているうちに
自分がその名人になればいいのだ、と思いつく。そして
数か月後には、銀行から100万ほどの借金をして店を開けた。
靴に対する愛情に溢れた彼女の仕事は、
その美しい容姿と人柄も相まってたちまち話題になり、
高級ブティックが軒を並べる目抜き通りのそばにある<ロザリーナの店>
には、有名無名の人々が、ひきもきらずに訪れる。
最初は母親の仕事を恥ずかしがり、学校で親の職業を聞かれ
「靴関係です」と答えていたという子供たちも、
今は誇りに思ってくれている、とロザリーナは語る。
「屈辱的な仕事などこの世の中にはなく、どんな仕事でも誇り高く
一生懸命やり遂げれば必ず成功する、ということもよく理解したようです」
家の前に停めておいた車を盗まれ、悲嘆に暮れている人のところに
翌日、無事に車が戻ってきた。中にあった手紙には、
「やむを得ぬ事情でお車をお借りしたこと、お許しください。
お詫びのしるしに」と、話題のオペラのチケットが2枚添えられていた。
「なかなか洒落た泥棒じゃないか」と喜んで出かけ、
帰ってきたら、家の中は空っぽ。何から何まで運び出された後だった――。
これは、イタリアであったという本当の話。
作家・井上ひさしも、イタリアの泥棒に一杯食わされたひとり。
ミラノ空港で、隙をついて盗まれた鞄に入っていたのは、
帰りの航空券に筋子のおにぎり、
古書などを買うためにせっせと貯めてきた現金や、大切なノート…。
「……鞄を盗られてしまった」
日本に電話をかけると、イタリア暮らしの長かった井上の妻は笑い出した。
「イタリアを甘くみたわね」
「イタリアは職人の国よ。だから泥棒だって職人なんです」
妻は続けて、夫にこう助言した。
「これからは緊張した表情で行動することね。
引き締まった顔の持主は決して狙われないというから」
シチリアの最も由緒あるホテル、<サン・ドメニコ・パレス>。
そのピアノバーの専属ピアニスト、キコ・シモーネが愛されたのは、
彼の奏でる素晴らしい音色のせいだけではなかった。
アメリカに夢中になった青年時代。彼が見たイタリアのギャングスター。
ライフワークでもあったマラソンへの挑戦。そして出会った女性たち…。
銀髪に大きな眼鏡、スマートで優雅なこの紳士の身の上話は、
どんな小説よりも面白かったという。
非常に多忙でも、ホテルでの演奏は欠かすことがなかった。
これは、生涯現役でピアノを弾き続けた彼の、91歳のときの言葉。
「これまで4度の結婚をしましたが、どうも5度目を
年内にすることになりそうな話もありまして…」
「(忙しくて)どうしても演奏できないときは、82歳になる妹が代役で
弾き語りしてくれるのです。私より、ずっと上手いんですよ」
イタリアのベルルスコーニ首相は、1シーズンにたった4本。
ベネトンのルチアーノ社長は、2年も前から予約して、ようやく2本。
サッカー・イングランド代表監督ファビオ・カペッロでも、
1本買えるか、買えないか――。
これは、北イタリアの小さな町に住む、
ロレンツォ・ドスヴァルドが作る生ハムのこと。
<幻のハム><イタリアにおける文句なしの最高品>と絶賛され、
順番待ちのリストは長くなる一方だが、売りに出される生ハムの数は
年間たった1500本。どんな有名人であろうとも、
自分の順番が来るのをじっと待つしかない。お金を積んでもダメ。
生産規模を拡大することを、ドスヴァルドは頑なに拒む。
「現状で満足です。少量生産だがイタリアで最高品質の、
無敵の生ハムを作れるほうが、ずっと誇り高いことだと思います」
楽しく質の高い仕事をすることが、彼の幸せ。
そして、同じくらい大切なのが、妻や子どもたちと楽しい時間を過ごすこと。
「大金を手にするのと、家族といい関係を保つのとどちらかを選べと
言われたら、当然迷わず、私は家族を選びますね」
ドスヴァルドは、無敵の父でもある。
イタリア・ボローニャの市長選挙を前に、候補者定めの市民集会に
参加した作家・井上ひさしは度肝を抜かれた。
檀上の候補者に次々と質問を突き付ける市民は、まるで刑事。
汗をかきながら必死に答える候補者は、容疑者。
壮絶きわまりない討論が繰り広げられる会場は、取調室のようだったから。
このような市民集会を選挙まで重ねて、市民は候補者の質を見極める。
候補者は鍛えられ、市長にふさわしくなっていく。
「市民の皆さんは、彼を候補者として認めたのでしょうか」
井上がたずねると、イタリア人通訳はこう答えた。
「彼は、客席を一度も笑わせることができなかったでしょう。
まだまだ鍛える必要がありそうね」
1945年4月。
ボローニャの人々はナチスドイツをはじめとする占領軍に対して、
何度もデモをおこない、ストライキをうち、やがて彼らと戦って、
自力で街を解放した。
赤煉瓦でできた美食の町として知られ、イタリア人も憧れる
現在のボローニャは、たくさんの犠牲によって守られた。
「守るべきものとは」「空疎な言葉や抽象概念ではなく、
具体的な人間や、目に見える景色のことです。
どこの国の人間でも、人間や景色のためには立ち上がるはずです」
「こうしたことはみな、ボローニャの街並みから教わっているように思います」
ボローニャへの愛にあふれた紀行文の中に
作家・井上ひさしが残した言葉が、いまとくべつ、胸をうつ。
「日常を守れ」