ひとには、誰にでも、
「忘れられない星空」が
あるのだと思います。
野尻抱影にとって、
それは24才で観た、ハレー彗星。
それから、南アルプスの、
手に取どきそうな星空。
輝く星に傾倒し生涯を捧げた
天文民俗学者、野尻抱影は、
星の和名の収集家としても知られた。
けれどなんといっても、
彼の業績は「プルート」の
和名を名付けたことだろう。
プルート、冥王星は、
現在、アジア諸国でも、
その名で呼ばれている。
教科書に載っているような
童謡も、流行歌も、
「七五調」がしっくり来るのは、
やはり日本人だからであろう。
平安時代に生まれた
七五調のリズムは、
「今様(いまよう)」と呼ばれる歌曲だった。
この平安時代のJ-POPを、
ときに喉を痛めるほど
愛したのが後白河上皇。
遊びをせんとや生まれけむ
後白河上皇が編纂した
「梁塵秘抄」の有名な一節。
この「梁塵秘抄」もまた、
遊びから生まれたものであることは
言うまでもありません。
どんなにつらいことがあっても、
ひとは笑うことができる。
けれど、笑わせることを
日夜考えている人にとっては、
実に大変なこと。
それは、ふつうじゃないことを
考えること。でもウソじゃないこと。
「欽ちゃん」の愛称で
日本中で慕われる萩本欽一さんは、
お客さんの中に
ふつうに入っていって、
知らない間に虚構の世界に
連れていく。それがプロだと言う。
笑っていると元気が出ます。
どんなときも、
笑うことを忘れずに。
わたしたちは、知りたがる。
今、ここではないどこかで
起きていることを。
ジャーナリストの
武田徹さんは、
ナマであることは
必ずしも「現場に近い」
ことではないと言う。
もしかしたら
ナマの情報のように見えている
だけなのかもしれないと、
付けくわえる。
たいせつなのは、
核心から、離れないこと。
ときにインターネットは
たくさんの情報を連れてきすぎるから。
私たちは、情報を発信することも
できるのだから。
あなたがまだ若くて、
個性のあるひとに
なりたいのなら。
ほぼ日の主宰、
コピーライターとしても知られる
糸井重里さんは
こんなふうに言っている。
個性は、つまりは、悲しみの傷跡。
すごくつらいことが
そのひとの「譲れない個性」になっていく。
たとえば、
天然の餌を追いかけている
魚や動物たちがおいしいのは、
命をつなぐために必死で餌をさがすから。
人間もまたしかり、なのだそうです。
大きな震災が起こると、
昔の日本人は
「世直し」と互いに言い合い
立ち直ってきたのだそうだ。
物理学者でもあり、
地震研究でも知られる
寺田寅彦は、
予測できない震災の危うさを
我々は炬燵を抱いて、氷の上に
座っているようなものだ、と例えた。
そして、寺田寅彦自身も
関東大震災を経験し、その甚大な被害を
自分の責任であるかのように言ったそうだ。
「天災は忘れた頃にやってくる」という警句は、
寺田の言葉だといわれているが
「防災」という言葉もまた彼の命名であるらしい。
彼はこのような言葉とともに優れた弟子も残した。
昭和10年に刊行された「防災科学」は
風、水、雪による災害から地震や凶作までを網羅するが、
その執筆者の多くは寺田寅彦の愛弟子であり
それぞれの分野の第一人者だった。
叶えたい現実があるのなら、
それを夢に終わらせない方法がある。
それが、夢ノート。
考案者は石黒由美子さん。
北京五輪ではシンクロの選手だった。
石黒さんは、
幼少のときの大事故で
たくさんの後遺症を遺しながらも
小学生でシンクロをはじめた。
夢ノートは、そのときはじめた。
付け方は簡単。
まず、できるだけ具体的で
すこしがんばれば叶う目標を書くこと。
叶ったら「ありがとうございました」と
感謝を書き添えて消す。
そのくり返しで、
たくさんの夢を叶えてきた
彼女のノートには、いま、
「夢は叶えるためにある」と綴られている。
あなたの叶えたい夢はなんですか?