内田百閒 貼り紙
「百鬼園随筆」や「阿房列車」など
軽妙な文章と独特の世界観で
昭和の文壇に一陣の風を起こした作家。
内田百閒。
あるとき弟子が自宅を訪ねると
門の前に「面会謝絶」という
貼り紙がしてある。
ご病気ですかと弟子が
色をなして上がり込むと
そこには涼しい顔の百閒。
「近頃はいい具合に
人がこなくなって
ありがたい。」
彼は天才的な随筆家であるとともに
天才的に偏屈なおじさんでもあった。
内田百閒 鉄道
天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん
内田百閒。
鉄道マニアの先駆けでもあった彼は
ついに念願かなって
東京駅の一日駅長に任命される。
しかし一筋縄では
いかないのが百閒。
箱根行きの特急列車を見送るために
ホームで敬礼していた彼は
発車のベルが鳴り終わる寸前、
見送るべきその列車に
ひょいと乗りこんでしまう。
呆然とする駅員たちに向かって
展望車のデッキから手を振る百閒。
そのまま箱根まで
鉄道の旅を満喫。
それ以来、
百閒に駅長の話は
来なくなった。
内田百閒 VS漱石
作家、内田百閒は図太い。
尊敬する夏目漱石に作品を送ったところ
「まじめだけどおもしろくない」
というありがたくない手紙をもらう。
普通の人なら絶望して
筆を折ってしまうところ。
百閒はちがった。
漱石の家を訪ねた百閒は
わたし芸ができるんです、と
いきなり両耳を動かし始める。
困惑する漱石。
無言で両耳をひくひくさせ続ける百閒。
根負けした漱石は
弟子入りを許可する。
しかし百閒先生、
もう少しマシな芸は
なかったんですかね。
内田百閒 借金
作家、内田百閒は
借金をする。
貧しいからではない。
たいていが贅沢のために借金をする。
晩酌に珍味を並べたくて借金。
二等車に乗れば帰れるところ
わざわざ一等車に乗りたくて借金。
しかも金を借りに行くのに
ハイヤーを呼んで、また借金。
「お金のありがたみは
借金しなければわからない」
ここまで来れば
借金も哲学だ。
青年 内田百閒
憧れや、焦燥や、孤独や、絶望や。
文学を志す青年なら
誰しも持つそんな青さ。
18歳の内田百閒には
残念ながら微塵もない。
造り酒屋のひとりっ子で
存分に甘やかされて育った百閒。
東京の大学に行けることになっても
実家からちっとも出たくない。
二等車に乗るお金を
もらった手前しぶしぶ上京。
しかしごはんが合わないという理由で
3日で下宿を引っ越し。
あげくちょっと風邪を引いたからと
すぐに実家に帰る。
それでも
32歳でちゃんとデビューし
死ぬまで現役で活躍した。
人生80年。
焦るなんて、あぁ、ばかばかしい。
内田百閒 美食
天才的な随筆家であり
天才的に偏屈なおじさん、
内田百閒。
彼は食にもかなりの
こだわりがあった。
朝と昼はほとんど食べない。
すべては晩酌を思う存分味わうため。
先付けから香の物まで
その日に食べたいお品書きを
毎日、奥さんに書いて渡す。
時には「昨日の残りのポークカツレツ」
なんていう細かい指示まで。
偏屈な美食家の妻も
楽じゃない。
内田百閒 猫について
新聞広告の歴史上
おそらく最初で最後だろう。
尋ね猫の広告が出た。
広告主は作家、
内田百閒。
飼っていた猫が失踪し
そのショックから仕事も手につかず
夜も眠れなくなった百閒。
3度にわたり新聞広告を出し
外国人向けに英字広告までつくった。
それでも猫は戻らない。
手がかりに一喜一憂し
毎日泣いて暮らした。
普段はまわりの人をさんざんふりまわしている
内田百閒がこの猫にだけはふりまわされている姿は
気の毒だけど、ちょっとかわいい。
内田百閒 偏屈
偏屈というのは
決して褒め言葉ではないが
作家、内田百閒に限っていうと
つい嬉しくてそう呼んでしまう。
百閒が76歳の時の話。
一本の電話が
芸術院会員の内定を知らせる。
文学の世界でこれ以上ない名誉。
しかもかなりの年金も約束される。
しかし百閒は
あっさりと辞退。
気色ばむ選考委員に
こう答えた。
「イヤだからイヤだ。」
天才的な随筆家であり
愛すべき偏屈なおじさん、
内田百閒。
こんな暑い夜は
毒の効いた彼の文章が
読みたくなる。