追悼スティーブ・ジョブズ①ロバート・ノイス
さまざまなIT企業が集まるシリコンバレーで、
「シリコンバレーの主」と呼ばれる伝説の起業家がいる。
彼の名はロバート・ノイス。
半導体の集積回路を発明し、
世界最大の半導体企業「Intel」を創業した。
その功績はあとに続く多くの起業家たちから敬われ、
スティーブ・ジョブズがアップルを追放された時、
まず彼のもとを訪れたという逸話が残っている。
追悼スティーブ・ジョブズ②デニス・リッチー
2011年10月5日、アップルの創業者
スティーブ・ジョブズが亡くなったその8日後、
同じくコンピュータの歴史をつくった偉大な人物が亡くなった。
彼の名はデニス・リッチー。
コンピュータの黎明期に「C言語」というプログラム言語や、
「UNIX」というPCのオペレーションシステムなど、
現在の情報化社会の礎となる技術を開発した。
彼がいなかったら、インターネットもスマートフォンも
生まれていなかったかもしれない。
わたしたちは世界を進歩させた偉人をまたひとり失った。
R.I.P.
追悼スティーブ・ジョブズ③
アメリカ合衆国大統領、バラク・オバマは言った。
スティーブ・ジョブズ、彼は私たちの生活を変え、
産業の在り方を変革し、歴史上少ない偉業を達成した。
私たちの世界観を変えたのだ。
マイクロソフト会長ビル・ゲイツは言った。
スティーブのように何世代にもわたって受け継がれる
強い影響を残す人物はめったに現れないだろう。
スティーブが去り、寂しくて仕方がない。
アップルの共同創業者、スティーブ・ウォズニアックは言った。
ジョン・レノンやケネディ大統領が死んだ時のような
衝撃を受けている。心に大きな穴が開いたようだ。
フェイスブックのCEO、マーク・ザッカーバーグは言った。
スティーブ、良き先輩、良き友人でいてくれてありがとう。
つくり出したものが世界を変えられるのだと、
教えてくれてありがとう。
2011年10月5日、アップル創業者のスティーブ・ジョブズが亡くなった。
世界中の人々が哀悼の意を表した。
追悼スティーブ・ジョブズ④ヒューレット・パッカード
ウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカード、
ふたりのエンジニアが1939年に創業したヒューレット・パッカード。
IT企業の聖地シリコンバレーの草分け的な企業であり、
のちの起業家たちに多くの影響を与えた。
スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックが
出会うきっかけとなったのも
ヒューレット・パッカードのインターンシップだった。
意気投合したふたりはガレージでコンピュータを自作する。
それがのちにアップルの誕生につながるのである。
追悼スティーブ・ジョブズ⑤リー・クロウ
“Here’s to the crazy ones”、
「クレイジーな人たちがいる」という一節から始まる
アップルコンピュータのCM。(日本語版)
ジョン・レノンやガンジー、モハメド・アリなど、
20世紀を代表するさまざまな有名人、文化人が現れる映像に、
詩のようなナレーションが重なる。
彼らの言葉に心を打たれる人がいる。
反対する人も、賞讃する人も、けなす人もいる。
しかし彼らを無視することは誰にもできない。
なぜなら彼らは物事を変えたからだ。
彼らは人間を前進させた。
彼らはクレイジーと言われるが、
わたしたちは天才だと思う。
自分が世界を変えられると
本気で信じる人たちこそが、
本当に世界を変えているのだから。
このCMを制作したのはクリエイティブディレクターのリー・クロウ。
スティーブ・ジョブズの盟友として数々のアップルの広告を手がけた。
“Here’s to the crazy ones”
今こそこの言葉を、スティーブ・ジョブズに捧げたい。
追悼スティーブ・ジョブズ⑥ダグラス・エンゲルバート
1961年、エンジニアのダグラス・エンゲルバートは
コンピュータのマウスを発明した。
しかし、その発明は時代の先を行き過ぎた。
当時はまだパーソナルコンピュータがなく、
マウスが製品化されることはなかった。
その23年後、アップルコンピュータがマッキントッシュを発表する。
このコンピュータの登場によって、
人々はマウスの直観的な操作性に初めて触れた。
マウスはコンピュータの標準デバイスとして世界中に普及した。
すでに特許が失効していたため、
ダグラス・エンゲルバートに巨額の富が転がり込むことはなかった。
しかし、現在彼は「マウスの父」と呼ばれ、歴史に名を残している。
追悼スティーブ・ジョブズ⑦ティム・バーナーズ・リー
1955年に生まれ、現在の情報化社会の発展に
大きな貢献をしたふたりの人物がいる。
ひとりはスティーブ・ジョブズ。
ご存じアップルの創業者。
もうひとりはティム・バーナーズ・リー。
「World Wide Web」の構造を考案した、
インターネットの生みの親のひとり。
インターネットの仕組みをつくったティム・バーナーズ・リーと、
それを手軽に使うための道具をつくったスティーブ・ジョブズ。
あなたたちのおかげで、わたしたちの世界は大きく広がった。
追悼スティーブ・ジョブズ⑧アラン・ケイ
1973年、ゼロックス・パロアルト研究所の
科学者アラン・ケイが、
「パーソナルコンピュータ」という構想のもと、
「ALTO」という名前のコンピュータをつくった。
ひとつひとつコマンドを打ち込むそれまでのコンピュータと違い、
「ALTO」はグラフィカルなアイコンやウィンドウを
マウスで操作する画期的なコンピュータだった。
しかし、「ALTO」は試作機のまま、日の目を見ずに終わる。
それから十数年後、アップル・コンピュータがマッキントッシュを、
マイクロソフトがウインドウズを発表する。
いずれも「ALTO」の強い影響を受けて生まれたものである。
アラン・ケイの描いたパーソナルコンピュータの世界は
スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの手によって現実のものとなった。