①ジーン・セバーグのベリーショート
ひとつの髪型が、
世界を変えることもある。
1957年、『悲しみよこんにちは』という
アメリカ映画に登場した
ジーン・セバーグのベリーショートが、
世界中の女の子に、ブームを巻き起こす。
女の子だけではなかった。
映画を見て彼女に魅了された
ジャン=リュック・ゴダールは、
長編デビュー作『勝手にしやがれ』に、
セバーグを起用する。
世界の映画の流れを変えた
ヌーヴェルヴァーグの第一波は、
ジーン・セバーグの髪型と共にやってきた。
②アンナ・カリーナの時代
「ほれぼれするほど美しい女を出演させ、
その相手役に『あなたはほれぼれするほど美しい』
と言わせること。これが映画なのだ」
と、ジャン=リュック・ゴダールは言った。
美しい女に出会うこと。
それがかれの映画最大のモチベーションだった。
1960年代のゴダールは、アンナ・カリーナという
女性との出会いぬきには語れない。
『小さな兵隊』、
『女は女である』、
『女と男のいる舗道』、
『はなればなれに』、
『アルファビル』、
『気狂いピエロ』、
『メイド・イン・USA』。
これら7本の映画は、
アンナ・カリーナという女性の、
ハタチから27歳までの、
美しいドキュメンタリーのように見える。
③アンナ・カリーナの誕生
コペンハーゲンで生まれたアンナ・カリーナは、
17歳の冬、パリに出る。ほぼ一文無しだった。
あるとき、〈カフェ・ドゥ・マゴ〉のテラスに
坐っているところを写真に撮られる。
その写真が縁でココ・シャネルに出会う。
「ハンヌ・カリン・ブレーク・バイヤー」
というデンマーク語の本名をもっていた彼女に、
「アンナ・カリーナ」という名前をつけたのも
ココ・シャネルだった。
アンナ・カリーナとなった彼女に、
雑誌やコマーシャルの仕事が入る。
石けんの広告にセミヌードで出演していた彼女を見て、
この娘なら服を脱がせてもよかろう、と思った
ゴダールが、『勝手にしやがれ』の出演を打診する。
「きみには脱いでもらう」
黒眼鏡の男ゴダールがぶっきらぼうに言う。
「いやです。脱ぎません。」
憤慨したアンナ・カリーナは席を蹴って帰ってしまう。
主演はジーン・セバーグに決まっていた。
アンナ・カリーナに依頼したのは、
ほんの小さな役にすぎなかった。
④アンナ・カリーナと赤いバラ
『勝手にしやがれ』を撮り終えた
ジャン=リュック・ゴダールから、
アンナ・カリーナのもとに再び出演依頼がくる。
「こんどはヒロインの役だ」と、ゴダール。
「また脱ぐの?」と、アンナ。
「いや、こんどは脱がなくていい」と、ゴダール。
数日後、黒眼鏡には不似合いの、
真っ赤なバラを50本抱えた
ジャン=リュック・ゴダールが、
アンナ・カリーナのアパートにやってくる。
こうして、ゴダール2本目の長編映画、
『小さな兵隊』への出演が決まる。
⑤ドルレアック姉妹
姉、フランソワーズ・ドルレアックは、
1942年にパリで生まれた。1年7ヶ月後、
妹、カトリーヌ・ドルレアックが生まれた。
父は映画俳優、母も舞台俳優
という芸能一家に生まれた姉妹だった。
姉は、10歳のとき、子役でデビュー。
あるとき、ある映画で、じぶんの妹役に実の妹を推薦し、
妹をデビューさせてしまう。
姉、フランソワーズは、
1963年、フランソワ・トリュフォーの長編第4作、
『柔らかい肌』に主演。
妹、カトリーヌは、母の旧姓だったドヌーヴを名乗り、
カトリーヌ・ドヌーヴとして、
ジャック・ドゥミ監督のミュージカル、
『シェルブールの雨傘』で主演。
そして、そのジャック・ドゥミの次の作品、
『ロシュフォールの恋人たち』に双子の姉妹役で共演。
姉妹は、フランス映画の最前線に立った。
しかし、姉、フランソワーズ・ドルレアックは、
1967年、不慮の交通事故で、その短い生涯を終えた。
妹、カトリーヌ・ドヌーヴは、その後大成し、
ヌーヴェルヴァーグの枠におさまらない女優として、
いまもなお現役で輝きつづけている。
⑥ベルナデット・ラフォン・18歳
25歳のフランソワ・トリュフォーが
つくった短編映画、『あこがれ』。
18歳のベルナデット・ラフォン演じる
美しい年上の娘にあこがれ、
あとをつけまわす、5人の悪戯っ子たち。
真っ白なシャツにスカートをなびかせ、
自転車で疾走するラフォン。
彼女が自転車を降りた隙に、
サドルの残り香をかいでうっとりする少年。
若い生命の輝きと、思春期のめざめを、
白という色で表現した作品。
それは、フランソワ・トリュフォーという
映画監督がもっていた
無限の可能性の色でもあった。
⑦ベルナデット・ラフォン・33歳
『勝手にしやがれ』は、もともと、
フランソワ・トリュフォーが発案した
ストーリーだった。
じぶんで監督するつもりでいたが、
事情があって盟友ゴダールに譲った。
もし実現していたら、主役は、
ベルナデット・ラフォンになるはずだった。
その穴埋めに、
トリュフォーは、短編映画『あこがれ』から
15年後、33歳のラフォンを主役に映画を撮る。
『私のように美しい娘』
というのが、その映画の題名だ。
⑧男と男とジャンヌ・モロー
『大人は判ってくれない』、
『ピアニストを撃て』につづく、
フランソワ・トリュフォー3本目の長編映画、
『突然炎のごとく』。
21歳のとき、
原作となった小説を読んで以来、
映画にしたかったが、
ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』で
強烈な存在感を示した
女優ジャンヌ・モローとの出会いが、
10年越しの構想に道を開いた。
男と、女と、男。
女が複数の男を同時に愛しつづけることは可能か。
説明してしまえばただの俗っぽい話。
自堕落に見えても不思議はないこの女性の役を、
ジャンヌ・モローの知性と美しさが救った。
この作品に刺激されて、
ゴダールは『気狂いピエロ』という映画をつくる。
ヌーヴェルヴァーグは、
かくのごとく、波となって連鎖する。