作家が暮らした家①山口瞳
作家山口瞳が建てた国立の家。
山口はその家の設計を建築家の高橋公子に依頼した。
山口が出した要望は、
「外観は倉庫。中へ入ると体育館。全体として未完成の感じ」。
数寄屋造りの日本家屋に民芸調の家具を合わせるより、
コンクリートの打ちっぱなしの住居に
西洋の骨董家具を合わせる方が洒落ている。
そんなモダンな感覚が山口にはあった。
要望通りに完成した、一見風変わりなその家を山口は大変気に入り、
自ら「変奇館」と名づけ、終の棲家とした。
作家が暮らした家①山口瞳
作家山口瞳が建てた国立の家。
山口はその家の設計を建築家の高橋公子に依頼した。
山口が出した要望は、
「外観は倉庫。中へ入ると体育館。全体として未完成の感じ」。
数寄屋造りの日本家屋に民芸調の家具を合わせるより、
コンクリートの打ちっぱなしの住居に
西洋の骨董家具を合わせる方が洒落ている。
そんなモダンな感覚が山口にはあった。
要望通りに完成した、一見風変わりなその家を山口は大変気に入り、
自ら「変奇館」と名づけ、終の棲家とした。
作家が暮らした家②立原道造
詩集『萱草に寄す』などで知られる、詩人立原道造。
一方で立原は将来を嘱望される建築家でもあった。
昭和12年、立原は浦和市の郊外、
別所沼の畔に建てる週末用住宅を構想した。
わずか5坪の小さな家を「ヒアシンスハウス」と名づけ、試案を重ねた。
その設計思想は現代のミニマム住宅の先駆けともいえたが、
立原の急逝により幻に終わる。
それから60年余りのち、さいたま市の政令指定都市移行を機に、
ヒアシンスハウス実現の機運が高まり、2004年ついに竣工される。
詩人の見た夢は60年の時を超えて、現実のものとなった。
作家が暮らした家③石井桃子
『クマのプーさん』の翻訳や『ノンちゃん雲にのる』の
著作で知られる児童文学作家の石井桃子。
昭和33年、石井は自宅に子どものための図書館「かつら文庫」を開いた。
図書室にあてたのはいちばん日当たりがよく、出入りもしやすい1階の部屋。
庭にある大きな月桂樹を通ってすぐの場所にあった。
石井は子どもたちのために本を集め、
子どもたちもまた石井に本の感想を話すのを楽しみにしていたという。
子どもたちが実際にどんな本を喜び、
どんなふうに書いてあればおもしろいと思うのか、
それがわからなければ、いい本はつくれない。
石井桃子は著書の中でそう述べている。
kazutan3@YCC
作家が暮らした家④澁澤龍彦
1966年、作家澁澤龍彦は北鎌倉に家を建てた。
施工にあたって澁澤は建築家に次のような要望を伝えたという。
一、当世流行にのらざること。
二、材料、仕上げ、色彩などできるだけ制限し、華美にならざること。
三、人間空間、クラシック家具及び調度に耐えられるインテリア。
四、ただし食事や衛生のための諸設備は、最新の便利さを存すること。
五、総じて古いものへの郷愁に陥らず、そのよさを再発見し、
さらに新しいものを正当に評価すること。
完成したのは、明治の洋館風の建物。
薄いミントグリーンの外壁が鎌倉の緑に美しく映えた。
この家で澁澤は亡くなるまでの21年間を過ごした。
澁澤の亡き後も、書斎や応接間は妻によって生前のまま保たれ、
本の並びから鉛筆削りの位置まで、何ひとつ変わっていないという。
作家が暮らした家⑤種村季弘
ヨーロッパの幻想文学や異端文化を日本に紹介し、
1960年代のアングラ文化の担い手となったドイツ文学者種村季弘。
種村が終の棲家としたのは神奈川県湯河原の高台に建つ家。
書斎の窓からはみかん畑が見下ろせ、遠くには箱根の十国峠も望めた。
その家に集まるのは個性の強い作家や芸術家たち。
毎年正月には「種村宴会」と呼ばれる新年会が開かれ、
ドンチャン騒ぎが繰り広げられた。
そんな中、誰よりも大声で笑っていたのは家の主。
そんな種村を客人たちは「笑うドイツ文学者」と呼んでいた。
作家が暮らした家⑥横山隆一
漫画『フクちゃん』の作者として知られる横山隆一の家は鎌倉にあった。
「民間の迎賓館」と呼ばれた横山の家には
さまざまな分野の著名人や文化人が集まった。
川端康成、岡本太郎、團伊玖磨、小津安二郎、手塚治虫・・・。
2001年に横山が亡くなった後、
その邸宅はカフェとギャラリーに生まれ変わった。
今では桜の木や藤棚、プールなど、
横山隆一の愛した庭を眺めながら、お茶を愉しむことができる。
作家が暮らした家⑦開高健
ふつう私は小説家として暮らしている。
ここ五年ほどは湘南海岸の茅ケ崎市である。
海岸から三百メートルか四百メートルほどのところで
ひっそり起居している。
月曜日と木曜日の夕方になると二キロ離れたところにある
水泳教室へ行くために外出するが、
それ以外はほとんど家にたれこめたきりである。
作家開高健は1974年、東京杉並から湘南の茅ケ崎に居を移した。
58歳で亡くなるまでの15年間をそこで暮らした。
現在、開高健記念館として残るその家には
当時のままの書斎が保存されている。
壁に飾られているのは開高の愛した品々。
自らが釣り上げたキングサーモンやイトウの剥製。
何種類ものルアー。アラスカの地図。
書斎では作家の息遣いが今も聴こえる。
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