2012 年 9 月 のアーカイブ

岡安徹 12年9月29日放送



乗り越えてゆく男 ② / ウィンストン・チャーチル

学生時代、成績の振るわなかったチャーチル。
同級生がラテン語やギリシャ語を習得しエリートの道を行く一方、
彼に外国語は難しすぎると、
母国語の英語のみを徹底的に学ぶようすすめられたという。

しかし、この劣等生としての処遇が、後に功を奏した。

社会に出て、実務において英語を操る必要性が高まるにつれ、
かつての優等生にひけをとらない筆力で、人の心に語りかけられるようになれたのだ。

チャーチルは言う

「未来のことはわからない。
しかし、我々が生きてきた過去が未来を照らしてくれるはずだ」

すべての出来事に意味がある。心に力が欲しいとき、そう思ってみませんか。

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岡安徹 12年9月29日放送



乗り越えてゆく男/ウィンストン・チャーチル

その男、学校の成績は後ろから3番目。
1番目と2番目が病気等の理由で退学した後は、
実質ビリ。

そんな落ちこぼれが、やがて英国首相となり、
人々を牽引するなど誰が予想できただろう。
男の名は、ウィンストン・チャーチル。

チャーチルは、後にこんな言葉を残す

「あまり先を読みすぎるのは誤りである。
運命の鎖の輪は一つずつ扱われねばならない」

今が、自分の思い通りにならなくても、
いつか、望みが叶うように生きていけばいい。岡安徹 12年9月29日放送

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渋谷三紀 12年9月29日放送



乗りこえたひと/奈良美智

あのどこか不機嫌で、
すねているような、にらんでいるような
つり目の少女を描いてきた、
画家、奈良美智。

最新の彼の個展では、
いつもと違う表情の少女たちに出会える。

きっかけは昨年の震災。
多くのアーティストがそうであったように、
奈良さんもまた、大きな壁にぶつかる。

表現に、何ができるのか。

答えの出ない、もやもやを抱えた奈良さん。
母校におもむき、後輩たちとものづくりの時間を過ごす。
無心に手を動かす中で見つけた、ひとつの答え。

表現することで、まず、自分自身が立ちあがらなくては。

そうして描かれた少女は、
いつもよりすこし、優しい目をしていた。

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渋谷三紀 12年9月29日放送



乗りこえたひと/菅井きん

日本のドラマで、映画で、
おばあさん役と言えば、このひと。
女優、菅井きんさん。

若い頃、「女優になりたい」と父に相談した、きんさん。
「それは美人がなるもんだ」
としかられた。

しかし、根っから負けず嫌いのきんさん。
負けるものかと女優への一歩を踏み出す。
生涯の当たり役となる、
おばあさん役を初めて演じたときは、
まだ30代だった、というから驚く。

それから半世紀にわたって、
おばあさん役を演じつづけた、きんさん。
82歳で映画初主演。
最年長初主演女優として、ギネスブックに認められた。

とびきりの美人でなくても、女優になれた。
とびきりの美人でないからこそ、いい女優になれた。

自分の欠点を愛せたら、
それは、あなたの個性になる。

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宮田知明 12年9月29日放送



乗り越える人/松井裕樹

今年の、夏の甲子園を沸かせた、
桐光学園の2年生エース、松井裕樹。

準々決勝までの4試合で積み上げた、
68個の奪三振は、板東英二・齋藤佑樹に次ぐ、
歴代3位。

準々決勝、猛打の青森・光星学園から、
毎回そして全員からの、計15奪三振。
しかし、惜しくも敗戦。

準々決勝で敗れた後のインタビューで、
泣き崩れながらも「来年は甲子園で優勝します」と誓った。
甲子園の土は持ち帰らなかった。

来年の夏の甲子園まで、まだあと10カ月。
彼が乗り越え、そして優勝を手にするのを
待ち遠しい人は、きっと多い。

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宮田知明 12年9月29日放送



乗り越える人/松井裕樹

今年の、夏の甲子園を沸かせた、
桐光学園の2年生エース、松井裕樹。

準々決勝までの4試合で積み上げた、
68個の奪三振は、板東英二・齋藤佑樹に次ぐ、
歴代3位。

準々決勝、猛打の青森・光星学園から、
毎回そして全員からの、計15奪三振。
しかし、惜しくも敗戦。

準々決勝で敗れた後のインタビューで、
泣き崩れながらも「来年は甲子園で優勝します」と誓った。
甲子園の土は持ち帰らなかった。

来年の夏の甲子園まで、まだあと10カ月。
彼が乗り越え、そして優勝を手にするのを
待ち遠しい人は、きっと多い。

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黒兵衛死ス

1999年4月2日生まれの黒猫黒兵衛(♀)
2012年9月26日午前1時過ぎに生体としての反応がなくなった。

先月あたりから食欲が落ちたので
獣医で検査したのだが
血液検査に異常は認められず
点滴でいったん食欲を回復していた。

3日前からまた食べなくなり
昨日は家のなかを意味なく徘徊。
19時ころ玄関にボーッと座り込み
そのまま横になり
バスタオルの上に引き取って寝かせた。

四肢はこわばっていても
撫でるとまだ反応があった。

猫の死というものを
たいへん科学的に見せてくれた猫だった。

老衰は生きているときから
細胞が少しづつ死んでいくのだと何かで読んだが
まさしくそういう死にかただったと思う(玉子)

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0歳2カ月の育児のはなし。

 ◇生後44日目のタイムテーブル

0時   おっぱい
1時
2時
3時   おっぱい オムツ(小)
4時
5時
6時
7時   おっぱい  オムツ(小)
8時
9時
10時  おっぱい  オムツ(大)
11時
12時  おっぱい  オムツ(小)
13時                 お散歩
14時
15時         オムツ(大)
16時  おっぱい  オムツ(大)
17時
18時
19時  おっぱい  オムツ(大)
20時  おっぱい  オムツ(大)  おふろ
21時
22時  おっぱい  オムツ(小)
23時

はい、ほとんどおっぱいあげてるかオムツ取り替えてるかです。
忙しいような、そうでもないような。
今(1歳2カ月)思い返しても、おっぱいあげてた記憶と
オムツを替えていた記憶しかありません。

文字にするとたった四文字の「おっぱい」ですが、
実際は、泣く→あげる→ちゅっちゅっちゅっちゅっちゅっちゅ・・・
で気づくと一時間経っています。いやホントに。

一日のうち9時間おっぱいあげてたんですね。
そりゃ記憶に「おっぱい」の四文字しか残らないわけです。

そしてオムツ!

尾籠な話で恐縮ですが。
おっぱいしか飲んでいない赤ちゃんは
うんちゆるゆるです。(臭くないよ!)

なので一日に何回もうんちが出るのですが、
ときどき、オムツを取り替えた瞬間に
「ぷりっ」てやるんです。
ああーやられた!
と思ってさらにもう一回オムツを取り替えると、
「ぷりりっっ」
おかわりかっ!!
いわゆるわんこオムツ(我が家の用語です)。

「・・・にこっ」
そういう時に限って、いい笑顔をサービスしてくれます。
こちらもオムツの替えがいがあるというものです。

というわけで、この頃までは毎日
「おっぱい」「オムツ」の日々です。
が、手際も良くなってきて、
ぼちぼちおでかけしたり友だちを家に呼んだりして
育児生活をエンジョイし始めた頃でもあります。

そう、みんなに美少年赤ちゃんすーさんを
お披露目する時がきたのだ・・・!!

と思ったら、なんか美少年がデブになってた。

◇生後2カ月の体重:6200グラム

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ①坂本龍馬

坂本龍馬は次男だった。

坂本家は、
呉服商や酒造業など手広く営む
土佐の豪商、才谷屋の分家で、
龍馬の曾祖父の時代に、武士に取り立てられた。

父の死後、
坂本家の家督を継いだ長男・権平の下に、
3人の妹と、弟が1人いた。
21歳年の離れたその弟が龍馬だった。

家は、兄が守っている。
末っ子の龍馬は、
藩にも家にも縛られることなく、
やがて広い世界に飛び出していく。

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古居利康 12年9月23日放送



次男がつくった日本 ②坂本龍馬・続

坂本龍馬は、次男だった。

10代の終わりと20代の初め、
二度にわたって江戸に出て、
剣術修行に励んだ時期、
費用はすべて実家の兄が負担した。

神戸で海軍の学校に入ったり、
土佐を脱藩したり、
長崎で海外貿易の結社をつくったり、
京都で薩長同盟に奔走したり…。

坂本龍馬は、
武士という身分にいささかもとらわれず、
土佐藩という枠組みも超え、
この国の古い価値観から自由だった。

故郷土佐で坂本家を継いだ
兄・権平の経済的援助。
そして、3人の姉たちの慈愛。
家族の存在がなければ、
坂本龍馬の、確信にみちた行動は
なかったかもしれない。

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