名雪祐平 12年12月30日放送
百年前の訃報録 池辺三山
百年前、その人物が亡くなった。
明治時代のジャーナリスト 池辺三山
朝日新聞の主筆として
明治政府首脳にも忌憚なく意見する公明正大さと、
あたたかい人柄で人々を惹きつけた。
三山を慕って朝日新聞に入社した夏目漱石は
新聞連載によって長編『虞美人草』を書き上げた。
明治45年、母を亡くした三山。
葬儀に参列した漱石は、
「帽もかぶらず、ぞうりのまま質素ななりをして
ひつぎの後に続く」
という憔悴した三山の様子を見ていた。
三山は喪に服すため肉食を断った。
卵も魚も口にせず、
墓参りと写経の日々を送った。
その栄養不足が命取りとなった。
三山には脚気と心臓の持病があったのだ。
いつものように近所の寺の
母の墓を参って帰宅後、
心臓発作で急死。享年49歳。
文章は平明で達意であるべし
三山のこの持論は、
新聞が今日まで発展する基礎となっている。