夢のはなし 横光利一の鋭い指摘
新感覚派の天才といわれた
小説家横光利一がこんなことを言った。
夢の話というのはひとりがすると
からなず他の者がしたくなる。
すると前に話したものは退屈するのだ。
なぜならそれは夢に過ぎないからだ。
そう、夢とは取るに足りず、
ひとりよがりで、
自分にとってはおもしろおかしく、
ときに恥ずかしく、
それでも許されるものなのだ。
夢のはなし 横光利一の鋭い指摘
新感覚派の天才といわれた
小説家横光利一がこんなことを言った。
夢の話というのはひとりがすると
からなず他の者がしたくなる。
すると前に話したものは退屈するのだ。
なぜならそれは夢に過ぎないからだ。
そう、夢とは取るに足りず、
ひとりよがりで、
自分にとってはおもしろおかしく、
ときに恥ずかしく、
それでも許されるものなのだ。
夢のはなし 漂う石牟礼道子
著書、苦海浄土(くかいじょうど)で知られ、
水俣に住み、水俣病と向き合ってきた作家、
石牟礼道子(いしむれ みちこ)。
故郷への真摯な愛から、
土着派とも呼ばれた石牟礼は、
意外にもこう言う。
水俣にこだわり続けるほどにそこから
ふわりと浮きあがり、漂う民になったように
感じる、と。
そしてこんな夢を見るのだ。
毎夜、ねむり入るときまぼろしに誘われ、わたしは
インカやトルキスタンのとある時代の
砂漠の井戸を汲んでいる想いがする。
夢の世界でも、
石牟礼の意識は漂流しながら、
帰る場所を探している。
夢のはなし ウィンザー・マッケイの夢の国
100年以上昔のアメリカの新聞に、
毎回、夢オチで終わるマンガが連載されていた。
ウィンザー・マッケイによる、
「夢の国のリトル・ニモ」という
新聞1ページのマンガだ。
ストーリーは毎回同じ構成。
ニモ少年が夢を見るところから始まり、
夢の国を冒険し、
最後にベッドから落ちて目が覚める。
それにも関わらず連載は10年以上続いたし、
今も根強いファンがいる。
それは、リトル・ニモが毎回冒険する
夢の世界のビジュアルが素晴らしかったからだ。
大きな鳥にくわえられて見下ろす夜の街。
ニューヨークの摩天楼、真夜中の海、巨大なキノコ。
リトル・ニモの夢の世界は、
誰もが見覚えのある、僕の、私の、夢の世界だった。
夢の世界で困ったときに思わず叫ぶ
「おうちに帰りたいよ、おかあさん」
というセリフは、
100年以上経った今も変わらず、
大人の胸をくすぐっている。
夢のはなし つげ義春の描いた夢
作家の描く夢物語は面白い。
もしくは、変だ。
つげ義春は、エッセイでもマンガでも
自分が見た夢を題材にしたものが多い。
それらは、こんな変な夢を見てみたいと思える、
不思議な説得力がある。
出世作となった「ねじ式」は本人によると
ラーメン屋の屋根の上で見た夢
らしい。
どれ、私たちもちょっぴりヘンテコな場所で
昼寝をしてみようか。
夢のはなし 黒澤明の理想
こんな夢を見た。
“私”は、美術館に飾られたゴッホの絵に魅せられている。
ふと気付くとそこは絵の中。
歩いていくうち、やがてゴッホと出会う。
「鴉のいる麦畑」の中を歩く彼の前を沢山の鴉が飛び立つ、その瞬間。
“私”はまた、何事も無かったかのように
展示会場のゴッホの絵の前に立っているのだった。
黒澤明が自分の見た夢をモチーフにつくった映画、『夢』。
第五話の「鴉(からす)」では、黒澤が尊敬するゴッホが現れる
幻想的な夢が描かれている。
現実には出会えない、誰かと出会う。
それも夢の醍醐味。
もし大好きな人と夢の中で出会えたら、あなたならどんな言葉を交わすだろう。
ちなみに黒澤は、夢の中のゴッホにこんな台詞を言わせている。
「絵になる風景を探すな
よく見るとどんな自然でも美しい
僕はその中で自分を意識しなくなる
すると自然は夢のように絵になっていく」
夢のはなし 夢を買った北条政子
「尼将軍」として鎌倉幕府の実権をにぎった女性、北条政子。
そんな政子が夫・源頼朝と出会えたのは
夢を買ったから、という話がある。
ある日政子の妹が、太陽と月を掌につかむ奇妙な夢を見た。
それを聞いた政子は、
それは禍をもたらす夢である。私に売ってはどうか。
こう申し出たという。
当時、「不吉な夢を売ると禍を転嫁できる」という考え方があり、
妹は小袖の着物と引き換えに、その夢を売った。
しかし政子は、それが本当は、非常によい夢だと知っていた。
北条政子は、頼朝の妻となる前から、北条政子であった。
Marcin Wichary
夢のはなし アラン・ケイ
アメリカの科学者、アラン・ケイは言った。
未来を予測する最善の方法は、
それを創り出すことである。
かなえたい夢は、口に出してみる。
そして、具体的に動きだしてみる。
自分の未来を創るのは自分しかいない。
それが、科学者が裏づける夢の真実。
kartellpeople
夢のはなし サン=テグジュペリ
世界中で、聖書の次に読まれている「星の王子さま」。
その冒頭で、作者のサン=テグジュペリは、
友人にこんな献辞を捧げている。
大人は、だれも、はじめは子どもだった。
しかし、そのことを忘れずにいる大人は、いくらもいない。
子どものころはあふれるほど持っていたのに、
大人になると、手放してしまう夢や空想の世界。
それをジュペリは、大人たちへ手紙を書くように物語にこめ、
同時に、生涯一飛行士として、空への夢を追い続けた。
夜の飛行で眺める美しい星空は、
眠ってみる夢よりも、
はるかにまぶしい現実世界だったにちがいない。
ジュペリは言う。
夢をみることは奇跡だ。
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