2013 年 4 月 28 日 のアーカイブ

名雪祐平 13年4月28日放送



鉄のマーガレット  サッチャー 1

イギリス東部、グランサム。
その町の食料雑貨店に女の子が生まれた。

家の家訓は、
質素倹約。自己責任。自助努力。

父から受け継いだ精神は
少女のなかに、骨のある強い人間性を築いていった。

9歳のとき、学校で表彰された際に
少女はこんな言葉で主張した。

 ラッキーだったんじゃないわ。
 私はそれにふさわしかったのよ。

少女、マーガレット・ロバーツ

のちにイギリス初の女性首相、
マーガレット・サッチャーになる。

鉄の女になる。

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名雪祐平 13年4月28日放送



鉄のマーガレット  サッチャー 2

彼女は
オックスフォード大学で化学を専攻し、
食品メーカーに就職した。

そこで携わったのは、
アイスクリームをなめらかにする研究。

やがて鉄の女とよばれるマーガレットが
アイスクリームをこねていた。

一方で、大学時代から経済学に触発され、
保守党協会で活動を開始した。

1950年から総選挙出馬し、2回連続落選。
結婚、出産をはさんで、
やっと初当選できたのは9年後の1959年だった。

そこからだ。

女性のキャリアの障壁となる不当な
“ガラスの天井”を
鉄の女はつぎつぎと破っていった。

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名雪祐平 13年4月28日放送


rahuldlucca
鉄のマーガレット  サッチャー 3

かつて冷たい世界戦争があった。

マーガレット・サッチャーは議会で
ソ連を痛烈に批判する演説をした。

 ロシア人は世界征服に夢中。
 歴史上最強の帝国になろうとしている。

その演説のあとで
鉄の女
と、あだ名をつけたのは
ソ連の軍事新聞「赤い星」だった。

鉄の女
そう呼ばれることを彼女自身も気に入っていた。

ある時、 
サッチャーは真っ赤なイブニングドレス姿で現れ、
こうスピーチした。

 この日のために
 “赤い星”のドレスを用意してきました。
 メイクもパーマもやわらかく仕上げてみました。
 私こそ西洋諸国の
 鉄の女です。

その姿は、自由を守ろうとする
真っ赤に燃える鉄の女だった。

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名雪祐平 13年4月28日放送



鉄のマーガレット  サッチャー 5

アルゼンチン軍の戦闘機から
ミサイルが発射された。

1982年、南大西洋、フォークランド紛争。

ミサイルはイギリス軍の駆逐艦シェフィールドに
見事命中。撃沈した。

イギリス首相マーガレット・サッチャーは怒り、
フランス大統領ミッテランに食ってかかった。

 敵のミサイルも戦闘機も
 全部フランス製じゃないの!

そしてミサイルを無能力化する秘密コードを
渡すよう迫った。

 あなたが渡さないのなら
 南太平洋に配置した原子力潜水艦から
 アルゼンチンを核攻撃する。

と脅したという。

 じゃじゃ馬のイギリス女め。

ミッテランはそう思いつつも、
コードを引き渡さざるを得なかった。

2カ月間の戦闘ののち、
イギリス軍は勝利した。

ミッテランはつねづねこう語った。
 
 サッチャーは、
 暴君カリギュラの眼と、
 マリリン・モンローの口を持っている。

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名雪祐平 13年4月28日放送



鉄のマーガレット  サッチャー 6

戦後、イギリスには
子どもたちの給食に出るミルクを
無償配布する制度があった。

当時、教育科学大臣として
予算削減に取り組んでいたサッチャーは
この制度を大幅に縮小した。

マスコミや野党はこの決定に猛抗議し、
「ミルク泥棒サッチャー」と
こきおろした。

映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
の冒頭シーンで、
引退後のサッチャーが、
ミルクを買いに行くシーンがある。

メリル・ストリープ演じるサッチャーは、
ミルクの値段が高いので
小さなサイズにした。

これは「ミルク泥棒サッチャー」への
映画的皮肉。

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名雪祐平 13年4月28日放送



鉄のマーガレット  サッチャー 7

映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』で
アカデミー主演女優賞を受賞したメリル・ストリープは、
サッチャーの死に際し、
こう追悼の意を表している。

 彼女は
 素晴らしい父親の娘という立場や
 実力者の未亡人という立場を利用することなく、
 まさに自分自身の努力だけで成し遂げたのです。

 全世界の女性や少女たちに
 ただプリンセスになるという夢ではなく、
 別の夢を与えてくれたのです。

 国を導く元首になるという現実の選択肢を。

 このことは革新的であり、称賛に値するものです。

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名雪祐平 13年4月28日放送


BBC Radio 4
鉄のマーガレット  サッチャー 8

イギリスで最新の世論調査が行われた。

マーガレット・サッチャーを
良い首相だった と答えた人 46%
悪い首相だった と答えた人 35%

彼女が87歳で亡くなった後も、
ロンドンでは抗議集会が開かれた。
厳しい批判や罵声があがった。

その人たちに
サッチャーが首相となった総選挙後に行った
34年前のこの演説は
いまどう聞こえるだろう。

 不一致があれば、私たちは調和をもたらしたい。
 誤りがあれば、私たちは真実をもたらしたい。
 疑問があれば、私たちは信頼をもたらしたい。
 絶望があれば、私たちは希望をもたらしたい。

人類は進歩しているのか。はたして。

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