2013 年 8 月 24 日 のアーカイブ

三島邦彦 13年8月24日放送


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カムバック! フェリックス・サンチェス

彼の名はフェリックス・サンチェス。
2004年、アテネ五輪陸上男子400メートルハードルで
祖国に初めての金メダルをもたらしたドミニカの英雄。

その英雄に人生最悪の日がやって来たのは、
栄冠から4年後の北京五輪だった。
その日、祖母が亡くなったという連絡を受けたサンチェスは、
失意のままに予選敗退。
その後は怪我も重なり、
サンチェスはもう終わったと言われた。

そして2012年。ロンドン五輪。
サンチェスは、再びオリンピックの舞台に帰って来た。
そこで観衆は34歳という年齢を感じさせない、驚異的な走りを目の当たりにする。

結果は金メダル。記録は47秒63。全盛期と言われたアテネ五輪と同じタイムだった。
4年前の悲しみに思いを馳せ、祖母の写真を胸に抱き、大粒の涙を流した。

  多くの人にそろそろ引退しろと言われた。
  この結果を誰も予想できなかっただろ

レース後にそう語ったサンチェス。
8年ぶりの表彰台で流した涙は、やがて大きな笑顔に変わった。

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三島邦彦 13年8月24日放送


Sam Rae
カムバック! ヴィクトール・E・フランクル

ナチスの強制収容所から帰還した心理学者
ヴィクトール・E・フランクル。

わずかなパンと水のようなスープのみを与えられ、
雪の降る屋外で来る日も来る日も肉体労働を強いられる日々。
心理学者としての客観的な視線と、愛する妻への思いが、
フランクルの心を支えた。

戦争が終わり、故郷に帰った。
しかし、強制収容所で離ればなれになった妻と両親は
もう帰って来ないことを知った。

帰ることができなかった人たちのことを伝えること。
それを帰ることができたものの使命と考えたフランクルは
心理学者としての観察をもとに一冊の体験記を書いた。
その中で彼はこう語る。

 何千もの幸運な偶然によって、
 あるいはお望みなら神の奇跡によってと言ってもいいが、
 とにかく生きて帰ったわたしたちは、みなそのことを知っている。
 わたしたちはためらわずに言うことができる。
 いい人は帰ってこなかった、と。

  
日本では『夜と霧』というタイトルで、
今も強制収容所の真実を伝え続けている。

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三島邦彦 13年8月24日放送


y.caradec
カムバック! クルム伊達公子

彼女が復帰するというニュースに、世界が驚いた。
クルム伊達公子。
1996年に惜しまれつつ引退した彼女は、
2008年に復帰を発表。
12年ぶり、38歳でのツアー復帰。
まさに前代未聞だった。

しかし、復帰後のプレーを見て、世界はさらに驚くことになる。
衰えを見せない運動能力と、豊かな経験から来る巧みな駆け引き。
ブランクは、彼女をさらに魅力的なテニスプレーヤーにしていた。
彼女はこう言う。

 やっぱり私はテニスが好きだったんだと気づくのに、
 十一年半かかってしまいました。でもそれは必要な時間だったのです。

世界ランキングを駆け上がって行った10代の頃のニックネームは、
「ライジングサン」。日はまた昇る。何度でも。

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三島邦彦 13年8月24日放送



カムバック! 長谷川四郎

満州鉄道に勤め、軍人となり、
やがて捕虜となった後、帰国して作家になった。
名前は、長谷川四郎。

ソ連軍の捕虜として、
5年にわたるシベリア抑留から帰ってきた長谷川は、
大陸での体験をもとに小説を書いた。

代表作、「シベリア物語」、「鶴」。
大陸の風物を冷静な観察眼で描いた作品には、
それまでの日本文学の誰にも似ていない新鮮さがあった。

40歳を過ぎてのデビュー。
遅れてきた新人作家としての意気込みを聞かれた長谷川は、
こう答えている。

 かえりみるに、むかしからぼくは、残念ながら、
 自分のなりたかったものになったためしがないのだ。
 こんどだってあやしいものだ。
 かまわない。サイコロをふってみよう。ない目は出ないにきまっている。

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中村直史 13年8月24日放送


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カムバック! 大塚晶則

2006年第一回
ワールドベースボールクラシック。
優勝の瞬間、マウンドに立っていた大塚晶則。

数々の栄光に輝いた右腕は、
その後五度に渡る手術を繰り返し、
一時は、右投げをあきらめ、
左投げに挑戦さえした。

今年41歳。最後の実戦から6年が経った。
往生際の悪い男は、いま、
日本の独立リーグで復活を果たそうとしている。

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中村直史 13年8月24日放送



カムバック! マーティン・コナー

第二次世界大戦の日本兵の遺品を、
遺族のもとに返還する。
終戦から68年たったいまも、
そんな活動を続ける人がいる。
元アメリカ軍兵士、マーティン・コナー。

活動の支えになっているのは、これまでに受けた
遺族からの感謝の言葉。

 遺品が見つかる限り、活動をやめるわけにはいかない。

87歳のマーティンさんはそう言っている。

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中村直史 13年8月24日放送



カムバック! 山口仙二

2013年7月6日。
山口仙二さんが亡くなった。
享年82歳。

1945年8月9日、長崎で被爆。
重度のやけど、放射線による病気、
さらに差別といった苦難を乗り越え、
生涯を、反戦・反核運動に捧げた。

1955年、国連でのスピーチ。
被爆者を代表し演説した山口さんはこんな言葉で締めくくった。

 ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!
 ノーモア・ウォー!ノーモア・ヒバクシャ!

それは、時代を超えてこだましつづける叫びとなった。

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