新美南吉 ~悲哀と愛~
作家、新美南吉。
彼はまだ中学生だったとき、日記に書いている。
悲哀は愛に変わる。
(中略)
俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリィを書こう。
4歳で母をなくし、養子に出された。
想いが伝わらない哀しみの中にこそ、
愛のほんとうの姿が見えかくれする。
彼は16歳のときすでに、感じていた。
その2年後、
彼は名作「ごんぎつね」を書く。
新美南吉。
今年は彼の、生誕100周年。
新美南吉 ~悲哀と愛~
作家、新美南吉。
彼はまだ中学生だったとき、日記に書いている。
悲哀は愛に変わる。
(中略)
俺は、悲哀、即ち愛を含めるストーリィを書こう。
4歳で母をなくし、養子に出された。
想いが伝わらない哀しみの中にこそ、
愛のほんとうの姿が見えかくれする。
彼は16歳のときすでに、感じていた。
その2年後、
彼は名作「ごんぎつね」を書く。
新美南吉。
今年は彼の、生誕100周年。
新美南吉 ~春の電車~
作家、新美南吉。
彼はたくさんの詩を残している。
わが村を通り
みなみにゆく電車は
菜種ばたけや
麦の丘をうちすぎ
そんな一節ではじまる「春の電車」。
電車はあたたかな海をのぞむ半島の先へとむかう。
そこにはいつも
わがかつて愛したりしをみなをりて
おろかに心うるはしく われを
待つならむ
かつてその街には
南吉と心を通わせた女性がいた。
結ばれることはなかったけれど、
彼の想いはすぎさりし日々に向けて、
電車に揺られつづける。
新美南吉。
今年は彼の、生誕100周年。
steve lorillere
新美南吉 ~ほんとうのごんぎつね~
作家、新美南吉。
29歳の若さでこの世を去った彼は、
今年、生誕100年を迎えた。
全国の教科書に採用されたことで
広く知られるようになった「ごんぎつね」。
孤独なごんぎつねが、
誤解によって、兵十(ひょうじゅう)の火縄銃に倒れるラストシーンは、
多くの子どもたちの心に焼きついた。
「ごん、おまえだったのか。いつも栗をくれたのは。」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
だが、自筆の原稿の一行は、少しちがう。
ごんは、ぐったりなったまま、うれしくなりました。
兵十への想いがやっと通じたうれしさが、
命を絶たれた悲しさを上回る。
つぐないの物語だと思っていた「ごんぎつね」が、
たった一行のちがいで、愛の物語へと変化する。
「ごんぎつね」は、ほんとうはハッピーエンドなのだ。
新美南吉 ~バースデーケーキ~
今年、7月30日。
作家・新美南吉の100回目の誕生日を祝う催しが、
彼の故郷で行われた。
彼が全国的に知られるようになるには、
死後かなりの年月が必要だった。
この日、全国から集まった人たちが
バースデーケーキのそばに花と、
「おめでとう」の言葉をささげた。
彼は今、自分がこれほど愛されていることを
どこかで見ているだろうか。
新美南吉 ~白秋との出会い~
作家、新美南吉。
18歳で「ごんぎつね」を書いた彼は、
その年初めて上京する。
知り合いの詩人・巽聖歌(たつみせいか)につれられて、
尊敬する北原白秋のもとを訪ねた。
そのときの喜びを、
南吉は、白秋あてのお礼の葉書きにしたためている。
先生が、僕を「新美君」と仰有(おっしゃ)ったときも、
うれしくて返事も出来ないほどでした。
先生は、巽さんを「巽」とお呼びになったと思います。(中略)
僕も「新美君」でなくて、「新美」と呼ばれる様に、努力しようと思っています。
それから南吉は、
「手袋を買いに」「でんでんむしのかなしみ」など
心動かす作品を次々に書きあげていった。
29年の、短い生涯。
その中で彼は白秋に、「新美」と呼ばれることが
あっただろうか。
新美南吉。
今年は、彼の生誕100周年。
新美南吉 ~まっさらな日々~
作家、新美南吉。
彼は喀血のため故郷に戻り、
女学校で教師をしながら
作品を書きためた。
当時の生徒だった女性は語る。
先生は教室を出て、
外を歩きながら教えてくださいました。
「空はsky、色はblue。
木はtree、花はflower。」
見上げながら、ふれながら、めでながら。
私は英語が好きになりました。
25歳、赴任したてのまっさらな南吉と、
入学したてのまっさらな女生徒たちの、
まっさらな3年間。
彼がつかの間、健康を回復した日々でもあった。
新美南吉 ~下駄屋の店先~
作家・新美南吉の生家が、今ものこる。
下駄を売る店先にある、小さな机。
ここで彼は遺作となる「狐」を書いた。
午后五時半書きあぐ。
店の火鉢のわきで。
のどがいたい。
風が窓ガラスを鳴らす音だけが響く店先。
腰かけてながめれば、
小さな小さな机にむかう、
必死の背中が浮かんでくる。
新美南吉 ~ささえるひと~
作家、新美南吉。
今年は、彼の生誕100周年。
南吉は、作品を出版する機会になかなかめぐりあえなかった。
29歳、死の直前に、ある人物に未発表作品を出版してくれるよう
頼んだ。
その人は、南吉が兄と慕う詩人、巽聖歌。
巽は自分の作品をさしおいて、次々に南吉の本を出版。
南吉は死後10年以上たってその名が全国に知られるようになる。
巽のスクラップ帳には、
天国の南吉にあてたメモがのこる。
南吉よ おそい春だったなあ
けれど おれは
これで
せいいっぱいだったんだよ
巽聖歌の献身がなければ、
私たちは「ごんぎつね」を知らない人生を生きたかもしれない。
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