NAPARAZZI
エディー・ジョーンズ タックル
ラグビー日本代表監督エディー・ジョーンズ。
彼が指揮をとることになったのは、弱小国、日本。
中でも、タックルは、体の小さい日本人にとって最大の課題だった。
ところが、エディーがタックル強化のために招いたのは、
ラグビーの名コーチでも名選手でもなく、
総合格闘技の元選手。
ラグビーで勝つために、ラグビーの枠を超えていく。
エディーは監督であり、開拓者なのだ。
NAPARAZZI
エディー・ジョーンズ タックル
ラグビー日本代表監督エディー・ジョーンズ。
彼が指揮をとることになったのは、弱小国、日本。
中でも、タックルは、体の小さい日本人にとって最大の課題だった。
ところが、エディーがタックル強化のために招いたのは、
ラグビーの名コーチでも名選手でもなく、
総合格闘技の元選手。
ラグビーで勝つために、ラグビーの枠を超えていく。
エディーは監督であり、開拓者なのだ。
エディー・ジョーンズ 失敗からしか学べない
「日本ラグビーの歴史を変える」と宣言した
日本代表監督、エディー・ジョーンズ。
練習試合の際、使うように指示したのは、
ラグビーボールではなく、アメフトのボール。
アタック練習になると、
ボールは、白い生卵にすり変えられた。
形の違う“ボール”に、選手達は困惑しミスを連発した。
「日本人が間違っているのは、失敗を避けること。失敗からしか学べないのに。」
こう言うエディーは、巧みにミスを作り出すユニークな練習方法を生み出した。
彼は、監督業を、アートと呼んでいる。
Jean Francois Beausejour
エディー・ジョーンズ 自主性
「趣味は日本人観察」と、公言するオーストラリア人がいる。
日本人の強みも弱みも知り尽くす、
ラグビー日本代表監督、エディー・ジョーンズだ。
彼が指揮をとるチームは、日本中から集められた精鋭ぞろい。
しかし、世界の強豪から見れば、体格も、パワーも、そしてスピードも劣る。
体と体がぶつかり合うラグビーで日本人は圧倒的に不利と思われていた。
しかしエディーはいう。
「体の小ささなど、私は一度も問題にしたことがない。
それより、自主性に欠けていることの方が深刻だ。」
彼は、選手たちの「自主性」を引き出すため、
思いつくと、すぐに練習を止め、選手に向かい、
なぜそのプレーをしたのか、選手自身に考えをとことん聞く。
さらにミーティングでは、
通常コーチが行う「戦術の説明」を、選手に任せることすらある。
幼少期からの日本の教育の中で選手達が不得意としていた、自己主張。
それを引き出された日本代表チームは、
体格のハンデをものともせず、初の世界ランクTop10入りを果たした。
誇り高きサムライを育てるエディーのリーダー論は、
スポーツ界からビジネス界に至るまで多くの注目を集め、
最強の組織をつくる教訓となっている。
Steve_C
エディー・ジョーンズ 選手のストレス
選手のストレスになる。
それがラグビー日本代表監督である、エディー・ジョーズのやり方だ。
選抜メンバーの発表の日。
チームを引っ張ってきた中心選手を、突然レギュラーから外した。
「選手には失望してほしい。それを乗り越えてチームを支え続けてもらいたい。」
エディーは後にこう話している。
選手の心を刺激し、揺さぶり、不安と緊張感をつくりだすことで、
100%の安心を与えない。
エディーはこの信念を貫き、組織を戦う集団へと進化させた。
Gordito1869
フェラン・アドリア エル・ブリ
「エル・ブリ」。
45席しかないシートに、年間200万人もの予約希望が殺到する、
伝説のレストラン。
バルセロナから約160キロ、
カラ・モン ジョイという風光明媚な入り江にその店はあった。
エル・ブリで出されるのは、20皿以上にものぼるコース料理。
9種類の”スナック”、8種類の”タパス”、3種類の”メイン”、
そして少量ずつのデザートだ。
例えば。
上が熱く、下が冷たい2層構造のグリーンピースのスープ。
色が白く、トマトを使っているようには全く見えない、
でも味はトマトの、トマト料理。
初めての感動を与えることこそが創造性だ、という思想である。
1997年に、エル・ブリはミシュラン3ツ星に昇格。
「世界のベスト・レストラン50」でも、5度世界一の栄誉を獲得するなど、
その名は年々知れわたっていった。
その「エル・ブリ」の主宰者こそが、フェラン・アドリア。
『タイム』誌の表紙を飾ったこともある、世界の有名人100人のひとりだ。
しかしアドリアは、2010年1月に世界を激震させる。
エル・ブリ閉店、というニュースだった。
smashz
フェラン・アドリア 料理と道具
天才料理人フェラン・アドリア。
彼のレシピの多くは、ため息が出るほど複雑だ。
液体窒素タンク、綿菓子製造機、アクリル樹脂の型等、
様々な特殊器具を使って、食材や料理を分解し、再構築するからだ。
エスプーマも、そのひとつ。
食材と空気を、サイフォンの中で混合する方法だ。
それによって、肉やきのこ、エスプレッソ等まで泡状にすることができる。
スフィリフィケーションは、液体を球状にする方法。
メロンからオリーブまで、さまざまな食材が小さくて繊細な球へと形を変える。
独創性で革命的な彼の料理は、アートと言っても過言ではない。
料理界のピカソと呼ばれるゆえんだ。
フェラン・アドリア ロブションの賞賛
天才料理人 フェラン・アドリア。
かつて、ガストロノミーの権威はフレンチにあり、
アドリアのようなスペイン人が評価されるなどありえないことだった。
そんな時代に、誰より先に彼の才能を見抜き、
とある一言で、アドリアの運命を変えた男がいる。
アドリアは間違いなく、世界最高のクリエイターだ。
その男こそ、かの有名なジョエル・ロブションだ。
cronicagastronomia
フェラン・アドリア ガストロノミー
天才料理人、フェラン・アドリア。
彼はレストランエル・ブリを畳んだ後、
近未来味覚ラボラトリーなる財団を設立した。
その場所を、アドリアのビジネスマネジャーを長年務める
エルネスト・ラポルテはこう表現する。
レストランは、音楽を演奏する場所。
タジェールは、“曲”を書く場所なんです。
様々なクリエイターたちを随時招聘し、チームで様々な議論をする。
最新のデジタル技術と連携しながら、
そのアイデアをどう料理に応用していくか、
終わりなき戦いに挑戦し続けているのだ。
アドリアの言葉に、こんな一言がある。
イワシとホワイトチョコレートを
混ぜちゃいけないなんて、誰が言った?
フェラン・アドリア。御年、53歳。
彼の挑戦はまだまだ終わらない。
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