CaDs
お茶のはなし 「お茶の水」の由来
江戸時代のはじめ、江戸城の外堀を建設するために
山を切り崩したところ、高林寺という寺の境内から湧き水がでた。
その水を徳川将軍のお茶を沸かす水として献上したところ
大変お気に召したという。
その場所こそ、いまの「お茶の水」。
お茶のためには、水からこだわる。
日本人は昔からおいしいお茶を淹れるための苦労を厭わないようだ。
CaDs
お茶のはなし 「お茶の水」の由来
江戸時代のはじめ、江戸城の外堀を建設するために
山を切り崩したところ、高林寺という寺の境内から湧き水がでた。
その水を徳川将軍のお茶を沸かす水として献上したところ
大変お気に召したという。
その場所こそ、いまの「お茶の水」。
お茶のためには、水からこだわる。
日本人は昔からおいしいお茶を淹れるための苦労を厭わないようだ。
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お茶のはなし カフェは自己表現
カフェにとって
おいしいコーヒーや紅茶と同じくらい重要なのが
居心地の良い空間作り。
90年代半ばに起こったカフェブームの渦中、
鎌倉にカフェをオープンし、以来
観光客からも地元の人からも愛されている店、
カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ。
生豆から焙煎するコーヒーはもちろん、
ブラジルまで足を運んで選ぶボサノバのレコードに
こだわり抜いたインテリア。お茶の味を邪魔しないお菓子。
マスターの堀内隆志さんはいう。
「アーティストが絵を描くように、
僕にとってカフェは自己表現のひとつでした」
そのこだわり、ひとつひとつが集まれば、
お茶はもっとおいしくなれる。
お茶のはなし 東海道五十三次と街道の茶屋
江戸時代、宿場町を中心に
「水茶屋」などの名で、数多くの「茶屋」が営まれていた。
そんな茶屋の様子を描いた代表的なものといえば、
歌川広重の浮世絵、『東海道五十三次』。
広重は生涯のあいだに何度も五十三次シリーズを発表しているが、
天保年間に保永堂から出版された
全55図からなる最初のシリーズが、今でも最も人気が高い。
「こめや」という看板がかかる茶屋の軒下に
お伊勢参りの御一行の名札がかかる「戸塚 元町別道」。
「名物とろろ汁」の看板の隣で、客が椀をすする、
「丸子(まりこ)の名物茶屋」。
簡素な葦簀(よしず)掛けの小屋で飛脚が休息をとる
「袋井 出茶屋(でぢゃや)の図」。
鈴鹿川をへだて、岩根山をのぞむ見晴らしの良い峠に建つ、
「阪之下」の茶屋。
京都まであと少し、琵琶湖の南・大津宿の
有名な泉を持つ茶屋を描いた「大津 走井茶屋(はしりいちゃみせ)」。
500キロ近くにおよぶ東海道。普通の旅人は1日40キロずつ、
2週間ほどかけて歩いたという。
一服の茶が、旅の疲れをどれだけ癒したことだろう。
お茶のはなし へそで茶を沸かす
へそで茶を沸かす。
現代風にいえば「腹筋崩壊」といったところの、
このことわざ。
一説によると、「へそを茶化す」が
徐々にもじられていったらしい。
時は江戸時代。
人々は他人に素肌を見せる機会が少なく、
もし、へそまで見えるようなことがあれば、
まわりに馬鹿にされ、大笑いされたという。
それが、「へそを茶化す」。
へそが見えただけで、大笑いする。
江戸時代の人たちはみんな、
「箸が転んでもおかしいお年頃」だったのだろうか。
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お茶のはなし ひとりの時間
カフェですごす至福の時間といえば、
誰かと笑い合いおしゃべりをする楽しさもあるが、
ひとりで外の景色を眺めながらぼんやりするという穏やかさもある。
そんなひとりの時間が似合うカフェが石川県加賀市にある。
物理学者、中谷宇吉郎の功績をつたえる
雪の科学館に併設するカフェ「冬の華」だ。
中谷宇吉郎は、人口の雪をつくることに世界ではじめて成功するなど、
雪の結晶を研究した第一人者として知られている。
映画「霜の華」を1948年に発表し、
映画プロダクションの設立にも尽力した。
科学者として、芸術家として、
雪を時に冷静に、時に優しい視点で見つめ続けた。
彼が生まれた石川県加賀市の小さな温泉街、
片山津温泉にあるカフェでは、
冷たい飲み物が雪の結晶を思わせる
六角形のグラスで運ばれてくる。
ガラス張りの大きな窓の先には白山連邦が横たわり、
その景色を眺めているだけで、心が満たされていく。
雪は天から送られた手紙である。
宇吉郎の残した言葉そのままに、
まるで、しんしんと降る雪に耳を澄ましているような
ゆったりした時間が、カフェ「冬の華」には流れている。
班大貓
お茶のはなし お茶にまつわることわざ
いつものお茶を、ちょっと良いお茶に変える。
小さいけれど確かな幸福を感じる方法のひとつだ。
高級茶といっても、昔ながらの老舗の玉露もあれば
ワインボトルに入った一風変わった水出し緑茶もある。
古いことわざに うどんで茶を食う という言葉がある。
つゆではなくお茶でうどんを食べるということだが、
ただ変わったことをするという意味ではない。
贅沢の限りを味わい尽くした人が、
あえて風変りなことを楽しもうとするという意味だ。
良いお茶はおいしいし、うれしい。
うどんをお茶につけるところまで極めるかどうかは、
あなた次第。
お茶のはなし ふたつのカフェー
日本の喫茶店文化の始まりは、
1911年、銀座にオープンしたふたつのカフェだった。
カフェー・プランタンは
パリの最先端を取り入れた文化人のための店。
カフェー・パウリスタは低価格で
誰でもコーヒーを楽しめる庶民派カフェ。
まったく異なるふたつの店が同時に開店したことで、
多様な人と価値が集う喫茶店文化が花開いたのだった。
Pen Waggener
お茶のはなし アイスティーのはじまり
紅茶をキリリと冷やしていただくアイスティー。
今ではすっかり定番の飲みものですが
このアイスティーが発明されたのは1904年の夏のこと。
アメリカのセントルイスで開催された万博会場でのできごとでした。
その万博で紅茶の試飲宣伝をしていたのが
イギリスの紅茶商人、リチャード・ブレチンデンさん。
折しも季節は夏。連日の猛暑の中、
湯気をあげた熱い紅茶になど、誰も見向きもしません。
半ばやけくそになったリチャードさんが
熱い紅茶に氷をたーっぷりいれて
「冷たい紅茶だよー」と叫んだところ、これが一躍大人気に。
のちにこの万博で一番のヒット商品になり、
アメリカ中で飲まれるようになりました。
偶然から生まれた、キリリとさえたグッドアイデア。
そんなエピソードを想いながらアイスティーを飲めば、
あなたにもヒラメキが訪れるかもしれませんよ。
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