2015 年 10 月 18 日 のアーカイブ

薄景子 15年10月18日放送

151018-01
Benson Kua
日本語のはなし 想紫苑

日本の色を表す言葉は、その響きまでもが美しい。

10月の誕生色といわれる、想紫苑(おもわれしおん)。
秋の野に可憐に咲く明るい紫の花は、
風や嵐で倒れても、いち早く立ち直ることでも知られる。

紫苑の花には、こんな逸話もある。
昔、親を亡くした兄弟がいた。
兄は忘れ草といわれる萱草(かんぞう)を、
弟は思い草といわれる紫苑を、墓に植えたところ、
兄はやがて親を忘れるが、
弟はいつまでも思い続けたという。

しとやかな想紫苑の紫は、
どんな風にも想いを揺るがせない
ひたむきな美しさを秘めている。

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石橋涼子 15年10月18日放送

151018-02
モリッティオ
日本語のはなし 食卓の日本語

朝昼晩の食事のたび無意識に口にする
「いただきます」「ごちそうさま」。
この言葉は日本語ならではで、
外国語に訳すのは難しいと言われている。

四季に恵まれ、食材豊かなこの国には、
日本語ならではの食の表現が多い。

刻々と変化する四季に合わせて
季節の食材も「はしり」「旬」「名残」と区別される。
「おすそわけ」も日本語ならではだ。

新米のおいしいこの季節でいうと、
炊き立てのつやつやのごはんを、よそう。

装うとは、整える、飾る、風情を添える、と言う意味。

食材に敬意を払いながら
見た目にも豊かな気分でいただこうという気分は
きっと他の国にもあるけれど、
しっかり言葉になっているのは
うれしいことだと思う。

今日もおいしいごはんをよそって、
さあ、いただきます。

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茂木彩海 15年10月18日放送

151018-03
jiroh
日本語のはなし 虫たちの声

秋になるとどこからともなく聞こえてくる虫の声。

10月にもなるとコオロギ、マツムシ、ツクワムシと
小さな合唱がいたるところで行われている。

西洋人は虫の声を機械音と同じように左脳でとらえるが
日本人は、右脳にある言語脳でとらえることができるように
できているという。

俳句の世界には、虫に関するこんな長い季語がある。

 「藻に住む虫の音に泣く」

実際には声を持たない虫の声も日本人は聴いているのだ。

他にも、「蚯蚓(ミミズ)鳴く」「蓑虫鳴く」などがあるが、
言うまでもなくこれらの虫は声を出すことはない。

秋の夜長に虫たちの声をひとりぽつんと聞いている。
虫たちの言葉は日本語となって脳に届き、
さらには木や草のかすかなざわめきまで
命あるものの声としてとらえようとする。
日本の秋、日本人の秋は繊細で美しい。

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茂木彩海 15年10月18日放送

151018-04

日本語のはなし 月を表す日本語

豊作の祈願と、収穫の感謝をするささやかな秋のお楽しみ、お月見。

お団子は毎晩夜を照らしてくれる月に感謝をするために、
すすきはお米の豊作を願って飾られる。

古来から月を愛でる習慣があった日本には
月の状態を言い表す名前が、数多く存在している。

新月から7日目の月は、弓に似ている、「上限の月」。
14日目は、満月に少しまだ足りない「小望月(こもちづき)」。
そして、18日目の夜に浮かぶ月の名前は、「月待ち月」。 

月が出るのをいまかいまかと待ち望む
そんな気持ちごと、月の名前にしてしまう。

日本語のやわらかさが、
今夜の月をもっと優しい光にする。

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熊埜御堂由香 15年10月18日放送

151018-05
dbbent
日本語のはなし  名文を書かない文章講座

芥川賞作家、村田喜代子さん。
福岡県で、主婦をしながら小説を書き続け、
地元のカルチャーセンターでは、文章の書き方を教えてきた。
生徒は、はがき一枚にも苦労するという、
主婦だったり、リタイア後の夫婦だったり、まさに市井のひとびと。

そんなひとへ向かって村田さんはこう教える。

 エッセイや手紙を書くときに、名文に憧れを抱く必要はない。
 名刀を台所に持ち込んで大根を切る者はいない。
 大根を切るときには、使い慣れた、よく研いだ包丁を使うもの。
 そんな風に、心のこもった文章は普通の文体で書けばいいのだ。

村田さんの講座のタイトルは、
「名文を書かない文章講座」。

毎回、講座を終えるころには、
プロの村田さんが思わず、ほろりと心動かされる
エッセイをみんな書くようになるそうだ。

「ありがとう」そんな飾り気のない一言に心が
温まるように。きっとそこには、とびきりの、
普通のひとの普通の言葉がならんでいる。

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熊埜御堂由香 15年10月18日放送

151018-06

日本語のはなし せつない気持ち

翻訳家の柴田元幸さんと、
日本在住の劇作家、ロジャー・パルバースさんが
「せつない」という日本語をテーマに対談したことがある。

「せつない」にぴったりあてまはる
英語は存在しないとよく言われる。
その対談では、
Heartbreaking,
sentimental
などロジャーさんがせつないに近い英語表現を
いくつかあげて柴田さんと「せつない」気持ちを考えた。

日本人には、近松門左衛門から小津安二郎まで
「どうあがいても幸せになれない」という前提から出発した、
思い通りにならない人生を受け容れる姿勢がある。
そこに美しさや潔さを見いだす、独特の感性から
「せつない」という気持ちは、生まれているのでは
とふたりは結論づけた。

そんな結論にちょっと胸がうずいたら、
あなたも「せつない」気持ち、上級者かもしれない。

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石橋涼子 15年10月18日放送

151018-07
樹/Tatsuru
日本語のはなし 雨を表現する日本語

雨が多い日本には、
雨を表現する日本語も多い。

突然降り出す激しい雨は、驟雨(しゅうう)。
しとしとと降り続く雨は、地雨(じあめ)。
秋の長雨は、秋霖(しゅうりん)。
同じ長雨でも、すすき梅雨と呼ぶとお月見のころかと思う。

急に降り出した雨は肘でよけるから肘傘雨(ひじかさあめ)
庭に打ち水をするのも人工的な雨ととらえて作り雨。
木の葉からしたたる水滴は樹の雨と書いて,樹雨(きさめ)

季節によって、降り方によって、
また、雨がもたらす物語によって、
意味ある名前がつけられているのは日本語ならではだ。

日本語は、おもしろくて、難しくて、美しい。

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小野麻利江 15年10月18日放送

151018-08

日本語のはなし 秋の終わりの日本語

「雀大水に入り蛤となる(すずめ うみにいり はまぐりとなる)」。
そんな日本語をご存じだろうか。

これは、二十四節気(にじゅうしせっき)を3つに分けた
「七十二候(しちじゅうにこう)」の言葉で、
今で言う、10月半ば頃の時候の変化を示したもの。

雀たちが海に集まり鳴き騒ぐ。
それがあるときを境に、ぱたりといなくなる。
秋の終わりのそんな寂しさを、

 雀たちが海に入って、蛤になったからではなかろうか。

と解釈した、中国の言い伝えに由来するのだという。

雀の色合いを蛤に見立てた、ユーモラスなこの言葉。
俳句における最も長い「秋」の季語、という説もあるが、
15文字にもなる季語は、案の定つかい勝手が悪いようで。
小林一茶の句にも、蛤と雀のモチーフだけが残されている。

 蛤に なる苦も見えぬ 雀かな

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