桜のはなし ケーベル先生と桜
明治時代に日本にやってきて
ドイツ哲学や美術史を教えた、
ラファエル・フォン・ケーベル。
教え子のひとりだった夏目漱石がのちに作品に記すように
「ケーベル先生」と呼ばれ親しまれた。
そんな彼が残した言葉。
桜の花の頃こそ日本人を観察すべき時である。
春だから、って
理由があるようなないような。
そんなゆるやかな心持ちで
桜を愛でて無邪気に浮かれる日本人の姿は
きっとケーベル先生の昔も、今も変わらない。
桜のはなし ケーベル先生と桜
明治時代に日本にやってきて
ドイツ哲学や美術史を教えた、
ラファエル・フォン・ケーベル。
教え子のひとりだった夏目漱石がのちに作品に記すように
「ケーベル先生」と呼ばれ親しまれた。
そんな彼が残した言葉。
桜の花の頃こそ日本人を観察すべき時である。
春だから、って
理由があるようなないような。
そんなゆるやかな心持ちで
桜を愛でて無邪気に浮かれる日本人の姿は
きっとケーベル先生の昔も、今も変わらない。
kikoya0919
桜のはなし 宇野千代と淡墨桜
日本三大桜にも数えられ、散りぎわに、
淡い墨色に花びらをそめる岐阜県の根尾谷の淡墨桜。
樹齢1500年ともいわれるこの桜は、
何度も根を継ぎながら花を咲かせてきた。
ところが、台風で太い枝が折れてしまい、
もう枯れるのを待つしかない、となった時
その命を救ったのは作家の宇野千代だった。
資金援助を募り、この淡墨桜を小説でもとりあげ一躍有名にした。
ひたむきに桜を救った宇野千代が残した言葉がある。
しあわせって、桜のようなものよ。
ああ、今年も桜に会えた。ただそれだけのことなのに、
ほっとしてしあわせな気分になるでしょう。
私はいつか花咲婆さんになって、
しあわせの種を籠いっぱいに入れて、ぱっぱっとまきたい。
宇野千代の残した老木の桜は、
今年も満開の花で人々にしあわせを運んでくる。
org
桜のはなし 弘前公園の桜守
今日は、桜の日。
桜と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、ソメイヨシノだろう。
人の手による品種改良で生まれたソメイヨシノは、
他の野生種に比べると病弱で枯れやすく、
平均寿命は60年くらいと言われている。
しかし、青森の弘前公園に暮らすソメイヨシノは
ほとんどが平均寿命をはるかに超える
樹齢100年以上の古木だという。
他で暮らすソメイヨシノと何が違うのかというと、
弘前公園には、桜専門の守り人、
桜守(さくらもり)と呼ばれる存在がついているのだ。
弱った枝はばっさり切って、若い枝をどんどん伸ばす。
桜の手入れとしては常識破りの手法は、
青森のりんご栽培で実地に基づいて培われたものだ。
300本以上あるソメイヨシノの健やかさと美しさを守る
ベテランの桜守は、桜は老木こそ美しいと考える。
そして、バッサリ。
100年なんて、まだまだ若造
TANAKA Juuyoh
桜のはなし 梶井基次郎とフランスの花言葉
今日は、桜の日。
日本人が桜を愛するのは、
満開に咲きほこる姿の華やかさと、
散り際のはかなさゆえと言われる。
「桜の樹の下には死体が埋まっている」という
衝撃的な書き出しで有名な梶井基次郎の短編のように、
日本では桜の美しさに密やかで妖しい魅力を抱いている。
うってかわってフランスでは、桜の花言葉は
「Ne m’oubliez pas」
私を忘れないで、という意味だ。
散り際の良さをポジティブに、ロマンチックに捉えている。
さて、今年の桜の樹の下、あなたの気分はどっちだろうか。
gmk
桜のはなし 佐藤良二の「さくら道」
太平洋と日本海を桜で結ぼう。
そんな夢を掲げ、名古屋と金沢をつなぐ長距離バス
名金線沿いに桜を植え続けた男、佐藤良二。
バスの車掌だった彼が桜に魅せられたきっかけは、
ダムに沈んだ村から移植された老桜が
奇跡的に再び花を咲かせたことだった。
ふるさとを失った人々が
桜の下に集まり、笑顔を取り戻す。その姿に感銘を受け、
佐藤は全長266kmのバス通りを「さくら道(みち)」にしようと決意する。
仕事の空き時間も、休日も、給料をもつぎ込んで、
バス停に1本ずつ桜の植樹をし続けた。
しかし、志半ばで病に倒れ、47歳でこの世を去る。
植えた桜は12年間で約2000本あまり。
その夢は同僚や家族、彼の志に共鳴する
多くの人々に受け継がれた。
そんな佐藤が遺した言葉。
この地球の上に天の川のように美しい花の星座をつくりたい。
花を見る心がひとつになって、人々が仲よく暮らせるように。
桜のはなし 小野小町
花の色は 移りにけりな いたづらに
わが身世にふる ながめせしまに
平安時代の女流歌人・小野小町の、有名な和歌である。
春の長雨が降る間に、桜の色はすっかり褪せてしまった。
私の美しさも、物思いにふけっていた間にすっかり褪せてしまった。
と、散りゆく桜に、人の世の無常を重ねている。
小野小町が本当に、美貌の持ち主だったか。
その真偽は確かめようもないが、
紀貫之が小町を六歌仙に選び、
彼女の歌に次のような批評をしたことが、
「小町美女伝説」の発端とも言われている。
いはば、よき女の、なやめるところあるににたり。
「内省的な美女のような歌」と紹介された、小野小町の歌。
時が移り、数えきれない回数の桜が散り、
歌の美しさは、小町みずからの美しさへと、昇華した。
qooh
桜のはなし 桜色の着物
お酒を飲みながら目で楽しんだり、
桜餅にして舌で味わったりするのと同じように、
布を桜色に染め上げて、着物にする。
これも昔からの日本の習慣だ。
桜の染色に必要なのは、意外にも花びらではなく、樹皮や、枝。
綺麗な桜色に染め上げるには、
桜が咲く前の木を使うのが一番だという。
その理由について、染織家で人間国宝でもある志村ふくみは言う。
1年間じっと色を貯めていた桜の幹に宿した、生命の色をいただく
ほのかに色づく桜色を身にまとえば、
儚い命の力を借りて、春の喜びをより一層感じられるだろう。
Japanexperterna.se
桜のはなし 牧野 富太郎の目
ようやく訪れたお花見のシーズン。
お花見、とは言うものの
果たして花をしっかり見ているかと言われれば
怪しいのが本音ではないだろうか。
花の着き方と開き方。
花の部分的組み立て方とその形状。
各部分の数と大きさと色と匂い。
日本の植物学者、牧野 富太郎の手にかかれば
お花見だって、こんなに本格的になる。
単に見るばかりでなく、それを写生して絵にすれば
さらにはっきり知ることができてよろしいのである。
自身を“植物の精だ”と語るほど花を愛した牧野。
この春は彼を見習って、本当のお花見、してみませんか。
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