2016 年 4 月 のアーカイブ

蛭田瑞穂 16年4月10日放送

160410-08
ProhibitOnions
ひらく ノーラン・ブッシュネル

ビデオゲームの父、ノーラン・ブッシュネルが
1973年に発表したビデオゲーム「ポン」

開発の経緯をブッシュネルはこう語る。

 それまでにもビデオゲームはあったけど大衆的ではなかった。
 僕は片手でビールをあおりながら、
 もう片手で遊べる簡単なゲームをつくりたかったんだ。
 そこで思いついたのがピンポンやテニスに似たゲームだった。
 それなら誰でもルールを知っているからね。

「ポン」の試作機をバーに設置すると人々はこぞってプレーした。
コインが入りすぎて機械が故障するほど人気を博した。

「ポン」はやがて史上初めて世界的に普及したビデオゲームとなり、
コンピュータゲームの歴史をひらいた。

topへ

上遠野茜 16年4月9日放送

160409-011
jean.
たまごの話「岸田吟香の卵かけご飯」

炊きたてのご飯の真ん中に、
新鮮な卵を割りいれ、しょうゆをひとたらし。
あぁ、たまらない。
日本人が愛してやまない究極のシンプルフード、卵かけご飯。
最初に広めたのは、明治時代の新聞記者・岸田吟香と言われる。

岸田はかなりの冒険家だった。
突然記者を辞めたかと思えば、辞書を作ったり、目薬屋を始めたり。
生涯手がけた事業の数は、なんと10を超える。
型破りな性格の大男に、ついたあだ名は「奇人吟香」。

卵料理自体がまだまだ珍しかった時代。
卵を生のままご飯にかけるという発想は、
どれだけ斬新だったのだろう。

時代の一歩先を行く奇人のセンスがなければ、
卵かけご飯はこの世に生まれなかったかもしれない。

topへ

村山覚 16年4月9日放送

160409-02
Piero Sierra
たまごの話「ブランクーシの美しい卵」

今日も世界中の食卓に、卵料理が並んでいる。
その理由は、栄養バランスと手に取りやすい価格だろうか。
“卵は完全栄養食だ”などと言う人もいる。

ところで、卵の中身ではなく見た目に関して
完全であると言った男がいる。20世紀を代表する彫刻家、
ブランクーシだ。

装飾や無駄を削ぎ落としたミニマルな彫刻で知られる彼は
「卵以上の美しいフォルムをつくることはできない」
と言ったとか。

ブランクーシはルーマニアの農村出身。
彼の彫刻を見ると、田舎の広々とした大空や地平線、そして、
日々の生活で手にしたであろう「卵」を連想するフォルムが数多い。

この世に完全な物なんてないかもしれない。
しかし芸術家たちは今日も、
完全を目指して作品を生み出しつづける。

topへ

藤本宗将 16年4月9日放送

160409-03
Mindful One
たまごの話「ニュートンのゆで卵」

アイデアという名のひらめきは、簡単には生まれない。
近代科学の基礎を築いた天才
アイザック・ニュートンをもってしても、
その過程は苦しいものだった。
難問に取り組むときはいつも自分の部屋にこもり、
他のすべてを忘れるほど没頭したという。

彼の異常な集中ぶりを伝えるエピソードがある。
ろくに食事もとらず研究していたニュートンのために、
家政婦が鍋と卵を運んできた。
せめてゆで卵でも、という配慮だったのだろう。
ゆで時間をはかる懐中時計と一緒にテーブルの上に置くと、
ニュートンの邪魔をしないようそっと出て行った。
しかし、しばらくして戻った家政婦は仰天する。
ニュートンは卵を握りしめ、鍋で時計をゆでていたのだ。

落ちてくるリンゴを見た人のすべてが、
引力に気付くわけではない。
大きな問いの前にすべてを捧げ、
考え抜いたものだけにアイデアの神は微笑むのだ。

topへ

福宿桃香 16年4月9日放送

160409-04
KJGarbutt
たまごの話「アルビン・カイランの卵料理」

ふわふわのマッシュポテトを瓶に入れ、
上から生卵をのせて、湯せんすること5分。
半熟になった卵とポテトを一気に混ぜたら
焼きたてのパンにのせ、かぶりつく。

あたらしい卵料理として人気を集めている「エッグスラット」。
ブームは、ロサンゼルスの小さな屋台、
その名も「エッグスラット」から始まった。

オーナーのアルビン・カイランは、幼い頃から卵が大好きだった。
エッグスラットを思いついたのは、料理学校時代。
「瓶をつかったレシピ」という課題を出され、
大好物の卵を使いたいと考え抜いたそうだ。

卵に情熱を注ぐ彼は、朝食にも情熱を注ぐ。
ロスで店を始めたのも、現地の朝食に疑問を抱いたからだ。
平日は、出勤途中にドライブスルーで済ませてしまう。
休日は、巨大な甘いパンケーキばかり。

そんな状況を見て、カイランはこう語った。

 流行の最先端の、真逆を追い続けたい。
 そこに正しいやり方と正確な技術があれば、
 人はいちばんシンプルな料理にちゃんと感動できる。

本当に良い朝食を届けるために。
卵を片手に、彼の挑戦はつづく。

topへ

村山覚 16年4月9日放送

160409-05
kimberlykv
たまごの話「テッド・クレイマーが割った卵」

1979年公開の映画「クレイマー、クレイマー」には
卵をうまく割れない男が登場する。

愛想を尽かした妻が家を出ていった翌朝、
5歳の息子が父にリクエストした朝食はフレンチトースト。
仕事一辺倒で料理などしたことがない父。
格好をつけて片手で卵を割り、殻が入ってしまうが
「少しパリパリした方が味がよくなる」とうそぶく。

フレンチトーストは英語名で、フランス語ではpain perdu、
失われたパンという名前だ。時間が経って新鮮さを失ったパンを
卵と牛乳にひたして甦らせる。

朝食づくりに失敗した父は息子に言う。
「心配ない、今度はうまくやるさ」

最近卵を割っていないというあなた。
明日の朝、フレンチトーストでも作ってみませんか。

topへ

大友美有紀 16年4月3日放送

160403-01
Il Fatto Quotidiano
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」初受賞

2016年のアカデミー賞作曲賞は、
タランティーノ監督「ヘイトフル・エイト」の
エンニオ・モリコーネが獲得。
その瞬間、観客全員がスタンディング・オベーションした。

 素晴らしいサウンドトラックには
 素晴らしい映画が無くてはいけません。
 クエンティン・タランティーノ監督に
 感謝をささげます。
 私を選んでくれてありがとう!

 
1928年イタリア生まれの87歳。
映画音楽界の巨匠、初の受賞だった。
同じくノミネートされていた、
「スター・ウォーズ」の
ジョン・ウィリアムズたちに敬意を示し、
最後に妻のマリアに賞をささげたい、と言った。

topへ

大友美有紀 16年4月3日放送

160403-02

「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」マカロニ・ウエスタン

映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネは1928年、
イタリア、ローマで生まれた。
神童と呼ばれ10歳で音楽院に入学。
前衛音楽、ポップス、クラシックに親しみ、
在学中からラジオドラマの音楽アレンジを
手がけるようになる。
時計の音やタイプライターを楽器として使う、
破天荒なアレンジ。
それを気に入った映画監督セルジオ・レオーネが
「荒野の用心棒」に起用した。

 テーマ曲は「さすらいの口笛」。
 口笛とギターによる孤独でヒロイックなテーマ。
 孤高のトランペット・ソロ

イタリアやスペインで作られる西部劇を
マカロニ・ウエスタンと呼んだ。
モリコーネのテーマ曲は
多くのマカロニ映画に影響を与えた。
そして、自身も1970年代前半まで、
30本以上のマカロニ映画に関わり、
根強い人気を得ていった。

topへ

大友美有紀 16年4月3日放送

160403-03

「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」セルジオ・レオーネ

2016年のアカデミー賞作曲賞を初受賞した
エンニオ・モリコーネ。
「荒野の用心棒」で監督セルジオ・レオーネに出会った。
それから、2人は、イタリア製西部劇、
いわゆるマカロニ・ウエスタンで、
何度もタッグを組む。
1972年公開の「夕陽のギャングたち」もそのひとつ。

 舞台はメキシコ。
 政府軍に追われる身となった主人公ジョンは
 「アメリカに行こう。
  どんな夢でもかなう国だ」と言う。

 
セルジオ・レオーネにとっても、
アメリカは、いつか映画を撮りたい憧れの地だった。
それは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」という
映画となって実現する。
盟友の夢にモリコーネがささげた曲は、
パンフルートのソロで始まる、
乾いた哀愁を帯びた渾身の叙情詩。
夢のアメリカを意識したディキシーランド・ジャズや
「アマポーラ」のカバーとともに話題となる。
夢はかなった。
が、セルジオ・レオーネ最後の作品になってしまった。

topへ

大友美有紀 16年4月3日放送

160403-04
Il Fatto Quotidiano
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」タランティーノ

今年、アカデミー賞作曲賞を受賞した
「ヘイトフル・エイト」の監督、
クエンティン・タランティーノは
エンニオ・モリコーネの熱狂的なファンだ。
「キル・ビル」シリーズ、「イングロリアス・バスターズ」、
「ジャンゴ 繋がれざるもの」など多数で
モリコーネの楽曲を使っている。
ただ、モリコーネの方は、
タランティーノにあまりいい印象はもっていなかった。

 一貫性を欠いた方法で映画の中で楽曲を使う。
 作曲家にとって、あるまじき扱いだ

 
しかし今回の「ヘイトフル・エイト」では、違ったようだ。
長年のタランティーノのラブコールが実を結んだ。
「感謝をささげます」という受賞スピーチを聴いた時の
タランティーノは、どんな表情をしていたのだろう。

topへ


login