2016 年 4 月 のアーカイブ

大友美有紀 16年4月3日放送

160403-05

「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」ニュー・シネマ・パラダイス

今年、87歳で初めてアカデミー賞作曲賞を受賞した、
映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ。
1970年代、80年代の多忙の時でも
若手監督の演出を助けるような音楽を
好んで提供していた。
そんな中、出会ったのが
長編2作目という若者の、
初のオリジナル脚本だった。

 その名はジョゼッペ・トルナトーレ。
 その本は「ニュー・シネマ・パラダイス」
 感動したモリコーネは
 トルナトーレをすぐに自宅に招いた。
 その思いが伝わるような楽曲が出来上がった。

 
トルナトーレは、先に録音された音楽を撮影現場で流した。
彼もまたモリコーネの曲に感動していたのだ。
映画そのものであるような師弟愛がここにあった。

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大友美有紀 16年4月3日放送

160403-06
Olivier Strecker
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」ジュゼッペ・トルナトーレ

2016年のアカデミー作曲賞を受賞したエンニオ・モリコーネ。
これまで450本以上の映画音楽を手がけてきた。
文芸作品からアクションまでジャンルにとらわれない
音楽的なキャパシティの広さと
巧みなメロディを生み出す職人的技術で量産を続けてきた。

「ニュー・シネマ・パラダイス」で出会った
ジュゼッペ・トルナトーレとは、映画監督と作曲家の
理想的な関係を築いている。

 2人とって音楽は、完成した映画を彩るものではなく、
 脚本と同じ段階で生まれ、物語を一緒に作り出すもの。

「海の上のピアニスト」では、
モリコーネは原作を読んで作曲を開始した。
たがいに意見を交わしながら、キャスティングが決まる前に
メインテーマを作り上げたという。
その関係の深さが、映画の深さを作り上げていく。

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大友美有紀 16年4月3日放送

160403-07
Basil D Soufi
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」国連

2016年、初めてアカデミー賞作曲賞を受賞した
映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネ。
87歳、キャリアは半世紀以上。
今年、2574番目のハリウッド殿堂入りも果たした。
そんなモリコーネは映画音楽だけでなく、
自身のオリジナル曲を年数作のペースで発表してきた。
2002年には9.11の同時多発テロを避難する
「沈黙からの叫び」を発表。
2007年2月に国連総会ホールで自ら指揮し、上演した。

 あなたの音楽は国連に似ている。
 ドラマに満ち、夢見る人々の
 物語を語るイリュージョンだ。
 いい奴、悪い奴、醜い奴も見せてくれた。

「いい奴、悪い奴、醜い奴」とは続・夕陽のガンマンの原題。
国連事務総長は、モリコーネの音楽が使われている映画のタイトルを
スピーチに取り入れ、会場を沸かせた。

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大友美有紀 16年4月3日放送

160403-08
Georges Biard
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」名誉賞

87歳の映画音楽の巨匠、エンニオ・モリコーネは、
2016年のアカデミー賞作曲賞に輝いた。
意外にも今回が初めての受賞だ。
2007年のアカデミー賞授賞式で名誉賞を受賞している。
「壮大で多角的な映画音楽への貢献」と評された。
プレゼンテータはクリント・イーストウッド。
モリコーネがイタリア語で語ったスピーチを通訳した。

 このような栄誉ある賞を受賞したことのない
 アーティストたちのことを考えています。
 彼らは献身的にその才能を芸術につぎ込んでいます。
 いつの日か、彼らの作品が、今日の私のように
 評価を受ける日が来ることを祈っています。

モリコーネは、この受賞を終着点ではなく、
これまでと変わらぬ献身的な情熱を持って、
映画音楽に取り組んでいくための出発点だと考えています。
と、イーストウッドは続けた。
その出発点から9年、
初受賞というまた新しい出発点にたどりついた。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-01
PaRaP
和菓子の源流 大福とお玉

塩大福、豆大福、いちご大福など
さまざまなバリエーションのある大福餅。
そのルーツは江戸時代にさかのぼる。
考案したのは、小石川に住む、お玉という女性と言われている。
それは、ある冬のこと。生活に困っていたお玉さんは、
餅の中に餡を入れて売り出すことを思いつく。
火鉢に焼き鍋を置き、熱々にして売り歩いたお餅は
やがて評判となった。
ちなみに当時の名前は、大きなお腹と書いて大腹餅。
もちろんお腹いっぱいになるからだ。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-02
MissionControl
和菓子の源流 鶯餅と秀吉

春を呼ぶ和菓子、鶯餅。
求肥などで餡をくるみ、青大豆のきな粉をかけたものが一般的だが、
誕生したのは今から400年以上前のことになる。
現在の奈良県、郡山城の城主だった豊臣秀長は、
兄、秀吉を茶会に招く際、珍しい菓子をつくるように命じた。
御用菓子司(ごようかしつかさ)であった菊屋治兵衛(きくやじへい)は、
粒餡を餅で包み、きな粉をまぶした餅菓子を考案する。
その味に感銘を受けた秀吉公は、
鶯餅という名前を与えたそうだ。

秀吉も認めた銘菓は、春の風物詩になっている。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-03
HAMACHI!
和菓子の源流/桜餅と新六

関東では長命寺。関西は道明寺。
この季節の和菓子と言えば、桜餅だ。
長命寺の桜餅が生まれたのは江戸時代。
8代将軍 徳川吉宗のころ、隅田川沿いにある長命寺の門番、
山本新六が考案したと言われている。
土手に咲く桜の葉っぱを塩漬けにし
餅を包んだところ、花見客に大いに喜ばれたという。
小麦粉の生地を焼いたのが長明寺、
一方、道明寺はまったく別で
京都の和菓子がルーツとなる。
使われている粉は、道明寺粉といって
水に浸し、蒸したもち米を干したあと荒く挽いたもの。

関東の人か関西の人か、桜餅の姿を聞けばすぐわかる。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-04

和菓子の源流/ういろうと陳宗敬

日本の菓子の中でも、
その発祥にさまざまな説が残っているのは、ういろうだ。
鎌倉時代初期、元から渡来した陳宗敬(ちんそうけい)という人が、ある薬を伝えた。
ところがその薬の名前が難しく、誰も覚えられない。
陳宗敬の役職が、礼部員外郎(れいぶいんがいろう)だったことから
それが転じて「外郎(ういろう)」と呼ばれるようになったそうだ。
当時、彼が伝えたお菓子もまた名前が定かではなく、
こちらも同じく「外郎(ういろう)」という。
もともとは黒砂糖で作られており、薬の外郎と色が似ていたから
同じ名前をつけたと言われている。
名古屋、山口、三重などで名物になっているものの
最初に商品化されたのは京都だという。

陳宗敬さん。あなたの伝えたものは、
調べれば調べるほど、不思議なお菓子になっています。

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佐藤延夫 16年4月2日放送

160402-05
ひでわく
和菓子の源流 まんじゅうと聖一国師

まんじゅう、と一口に言っても、
酒饅頭、揚げ饅頭など数え切れないほどの種類がある。
もちろんルーツもさまざまで、
鎌倉時代に、南宋から帰国した聖一国師(しょういちこくし)が伝えたのが酒饅頭。
博多にある茶屋の主人、栗波吉右衛門(くりはきちえもん)に、
酒で発酵させる饅頭の作り方を教えたのが始まりとされている。
もうひとつ、聖一国師が持ち帰ったものがお茶の種で、
それが静岡茶のルーツになっている。

酒饅頭を食べながら静岡茶をいただくときは、
聖一国師に感謝せねばなりません。

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