ファッションの言葉 その男の魅力
レディー・ガガの靴を作った日本人として、
一躍脚光をあびた舘鼻則孝。
藝大出身のシューズデザイナーという、
一風変わった経歴をもつ彼は、
デザイナーになったきっかけをこう語る。
洋服や靴って人を形容するものだと思うんです。
身につけるものの力は、その人自身に影響する。
そういう力のあるものを、自分で作れたらいいなぁと思って。
世界の歌姫を魅了したその靴は、
世界を魅了したと言っても過言ではない。
ファッションの言葉 その男の魅力
レディー・ガガの靴を作った日本人として、
一躍脚光をあびた舘鼻則孝。
藝大出身のシューズデザイナーという、
一風変わった経歴をもつ彼は、
デザイナーになったきっかけをこう語る。
洋服や靴って人を形容するものだと思うんです。
身につけるものの力は、その人自身に影響する。
そういう力のあるものを、自分で作れたらいいなぁと思って。
世界の歌姫を魅了したその靴は、
世界を魅了したと言っても過言ではない。
-Porsupah-
ファッションの言葉 その男の問い
舘鼻則孝。
若くして世界中のコレクターの心をつかむ、
シューズデザイナーだ。
昔の技法や素材、かたちを
自分なりの解釈・表現をしたら
どのようなものが生まれるのかということに、
とても興味があります。
現代を生きる自分が蘇らせるとこうなる、という。
舘鼻則孝は、
すでに確立されているものでも、問いかけることを忘れない。
デザインには、「完成」
という言葉はないのかもしれない。
Noritaka_Tatehana
ファッションの言葉 その男のビジョン
舘鼻則孝。
世界が注目するそのシューズデザイナーは、
2012年秋のインタビューでこう答えていた。
5年後の自分のビジョンですか。
…まったく違うことをしていてもいいと思います。
それが結局、前に進んでいるということなので。
その言葉のとおり、去年の秋には、
東京・パレスホテルで、
自身初となるフードメニューのディレクションも行っている。
今年の秋、いよいよその「5年後」がやってくる。
舘鼻は、いったいどんなことをしているのだろう。
ume-y
ファッションの言葉 川久保玲の哲学
1997年の春。
ファッションブランドのコム・デ・ギャルソンが顧客に送った
ダイレクトメールにはこんなあいさつが書かれていた。
すでに見たものでなく、
すでに繰り返されたことでなく、
新しく発見すること。
前に向かっていること。
自由で心躍ること。
コム・デ・ギャルソンは、
そんな服作りをいつもめざしています。
1997年春の服がそろいました。
どうぞおでかけください。
それはコム・デ・ギャルソン創業者川久保玲の、
服づくりの哲学に他ならない。
im nothing in particular
ファッションの言葉 川久保玲の炎
コム・デ・ギャルソンの創業者川久保玲は
ウォール・ストリート・ジャーナルのインタビューで
ファッションの現在についてこう語っている。
多くの人がファストファッションを求める状況に、
私の創造の炎は少しばかり弱まっています。
しかし、馬鹿げた振る舞いをすることも、
愚か者を演じることも、(中略)
ファッションビジネスには不可欠であり、
いまだに私はそれが好きなのです。
クリエイションこそが私を奮い起こさせますし、
クリエイションのないところに進歩はありません。
川久保玲の創造の炎は、決して消えることがない。
mollyali
ファッションの言葉 川久保玲のクリエイション
コム・デ・ギャルソンの創業者川久保玲にとって服づくりとは何か。
川久保はこう語る。
私は自分の仕事をアーティストと考えたことはありません。
私がやってきたのはただ、クリエイションというビジネスです。
かつて存在しなかったものを創造すること。
そして創造と表現をビジネスに結びつけること。
私にはデザイナーと実業家を切り離して考えることはできません。
私にとってそれは一体なのです。
jerryfergusonphotography
ファッションの言葉 夫のことば
ブライダルファッションデザイナー、桂由美。
彼女は42歳のときに、11歳年上の旧大蔵省官僚、結城義人と結婚した。
結城はある取材で、桂についてこう話した。
ウエディングドレスに自分のすべてを賭ける生き方があるんだと、
感心しましたよ。
だけど、この人程度の才能の持ち主なら大勢いるでしょうね。
ブライダル業界のレジェンドとも呼べる桂を捕まえて
「この人程度」と形容する夫。
だが、彼はこう続ける。
由美はたいした能力はないが、一筋の道を脇目もふらずにやってきた。
ずば抜けた能力はなくても、一生懸命に一つの道を進んでいれば、
一流と呼べるレベルになれるという良い例ではないでしょうか。
桂の、ウエディングドレスに対する熱意を称賛しての言葉だった。
waitscm
ファッションの言葉 上品なセクシーさ
和装婚全盛期の日本にウエディングドレスをもたらした、桂由美。
あるとき、アメリカのバイヤーが
彼女のデザインしたドレスについてこう述べた。
「マダム・カツラはなぜ『可愛い』ドレスばかりつくるのですか?
『セクシー』さが足りない。」
当時の日本女性の結婚適齢期は25歳までとされ、
花嫁には若さと可愛らしさが求められた。
だが、今後は社会で活躍し、年齢を重ねて結婚する女性が増える。
そんな女性たちには可愛いだけにとどまらない魅力が必要だ。
そのバイヤーの言葉をヒントに、桂はどんな年齢の女性が着ても美しい
「上品なセクシーさ」を持つドレスを生み出した。
彼女が日本に提案したのはウエディングドレスだけでなく、
女性の新しい生き方だったのかもしれない。
Copyright ©2009 Vision All Rights Reserved.