「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 子ども時代
今日、12月3日はアガサ・クリスティーが失踪した日。
その日何があったのか。
子ども時代のアガサは、幸せだった。
わたしには家があり、
大好きな庭があり、
賢くて辛抱強いばあやもいた。
また、互いに深く愛しあい、
結婚と親であることの両方に成功した
二人の人を父と母として持っていた。
75歳で完成させた自伝の冒頭の一節だ。
幸せな子ども時代から長い年月を経ての失踪。
彼女に何があったのか。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 子ども時代
今日、12月3日はアガサ・クリスティーが失踪した日。
その日何があったのか。
子ども時代のアガサは、幸せだった。
わたしには家があり、
大好きな庭があり、
賢くて辛抱強いばあやもいた。
また、互いに深く愛しあい、
結婚と親であることの両方に成功した
二人の人を父と母として持っていた。
75歳で完成させた自伝の冒頭の一節だ。
幸せな子ども時代から長い年月を経ての失踪。
彼女に何があったのか。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 詩
アガサ・クリスティーは子どもの頃から、
折にふれ詩を書いていた。
あたしの仲よし
キバナノクリンザクラ
ちいさいけれど、かわいい花。
なのに、あるとき高望み、
ブルーベルになりたくて
青いコートが着たくって
11歳の時に書いた詩の出だしだ。
少女らしい、けれど、何者かになりたいという
願望が垣間見える。
アガサは生涯で2冊の詩集を出版した。
30代半ばと80歳を超えた頃。
失踪前と、遥かな年月が過ぎた頃。
そこに現れている心情の違いを、読んでみたい。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 戦前の社交界
アガサ・クリスティー、17歳。
フランスの花嫁学校で2年間過ごしたあと、
上流社会の女性として巣立つ準備をしていた。
けれど、父を亡くして、ロンドンの社交界に
デビューする余裕はなかった。
それでも母は、私が若い娘の生得の権利
ともいうべきものを行使するように
願ってやまなかった。
つまり、チョウがサナギから脱け出るように、
女学生から脱して広い世間に通用する
若いレディになるべきだ、そして、
他の若い女性や多くの男性とも会って、
率直に言えば、適当な配偶者を見つける
チャンスが与えられるべきだ、というのだった。
アガサは母とともにカイロで一冬を過ごし、
冬の社交場に顔を出すことにした。
パーティーに乗馬、アガサは社交界を大いに楽しんだ。
しかし戦争が始まり、その楽しい時代は4年しか続かなかった。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 薬局にて
ここにあるのは、眠りとなぐさめ、
苦痛からの解放—
そして勇気と、新たな活力!
ここにあるのは、危険と殺人と突然の死!
これら緑色と青色の小瓶のなかに
この詩は、第一次世界大戦中、薬剤師として教育を受けた時を
思い出して書かれたもの。
アガサ・クリスティーは、幸せな子ども時代と、
夢のような社交界の日々ののち、
仕事で劇薬に接するようになった。
スリルが生活にもたらされることによって、
最初の探偵小説のアイデアがひらめいた。
そして、その道は1926年の失踪にも続いていた。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 結婚
アガサは22歳のとき、23歳のアーチー・クリスティーと出会う。
背が高く均整のとれた体つき、短く刈り上げた縮れた金髪、青い目。
颯爽とした男性だった。陸軍航空隊入りを志願していた彼は、
入隊を認められるとアガサに結婚を申し込んだ。
ぜひぼくと結婚してくれ、ぜひとも僕と結婚してくれ。
アガサも結婚を望み、母に許しを請うが、まだ早いと認められない。
1914年夏に戦争が始まった。
アーチーはフランスへ送られ、アガサは病院で働きはじめる。
クリスマス休暇で帰国したアーチーは、戦争のまっただ中で
生きることに恐怖を感じていた。
病院でたくさんの傷病兵をみてきたアガサは
アーチーが心配でたまらなかった。
1914年のクリスマス・イブ、特別許可を得て、二人は結婚した。
戦争の緊張と緩和がもたらした婚姻だったのかもしれない。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 結婚と出版
戦争が終わり、アガサ・クリスティーの結婚生活が始まった。
ロンドンにフラットを借り、子どもも生まれ、アーチーは、
仕事を得た。平凡な若い夫婦だったが、幸せだった。
わたしは愛する人と結婚し、子どもを持ち、
住むところもある、そしてわたしの見る限り、
今後いつまでも幸せに暮らせないわけはないと思われた。
アガサの幸福はまだ続く。
最初の探偵小説「スタイルズ荘の怪事件」の出版が決まったのだ。
こうしてアガサは長い自分の仕事への道を踏み出すことになった。
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 失踪
アガサの結婚生活は、それなりに順調だった。
しかし、最愛の母が亡くなってしまう。悲しみくれながら、
死の後始末をするが、夫のアーチーは手を貸そうとしない。
わたしは頭が混乱し、あれこれへまをやるようになってきた。
まったく空腹をおぼえなくなって、食べるものが次第にへっていった。
そのうえ、やっと姿を現した夫からは離婚をきりだされる。
1926年12月3日。アガサは夜中に車で家を出たまま姿を消してしまう。
翌日、郊外の小道の脇で車が発見される。
彼女の姿はなく、免許証とスーツケースと毛皮のコートだけが残されていた。
失踪は報道され、大捜査がおこなわれ、殺人も疑われた。
ところが10日後、ヨークシャー州のホテルでアガサが発見される。
自分が誰なのか、どうしてそこにいるのか思い出せない状態だった。
Epistola8
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー その後
ヒステリー性遁走。アガサの失踪を当時の医者は、そう診断した。
このうえない幸福のあとに訪れた、抱えきれない絶望。
自伝には失踪のことは書かれていない。
かわりに
自分の一生であった旅のことを振り返ってみるとしたら、
自分のきらいな記憶を無視する資格があるものだろうか?
それとも卑怯だろうか?
という一節がある。
何年かのち、アガサは、初めてオリエント急行の旅に出る。
気分を変え、再出発するために。
そして、この旅で2度目の夫となる考古学者の
マックス・マローワンと出会うのだ。
絵本作家の心 レオ・レオーニ
オランダ出身の絵本作家、レオ・レオーニ。
29歳のときアメリカに亡命し、
広告代理店や新聞社でグラフィックデザイナーとして働いた。
絵本作家という肩書きでデビューしたのは、49歳。
ある日、孫にお話をせがまれたとき、
その絵本は、偶然に生まれた。
水彩画の抽象的な青と黄色。
いびつな物体が登場人物だ。
「あおくんときいろちゃん」。
世界で愛され続ける名作となった。
どの世界でも言えることだが、
本人が楽しんで創ったものほど
良い作品が多いのはなぜだろう。
絵本作家の心 レイモンド・ブリッグス
漫画のようなコマ割りの手法で
絵本の新しい分野を切り開いたのは、
イギリスの絵本作家、レイモンド・ブルックス。
「絵本が唯一の私の表現手段だ。」
そう語るとおりに、
作品にメッセージをちりばめる。
現実的な世界と、ファンタジー。
その両方を描き分ける彼の作風は、
子供だけでなく大人の読者も視野に入れている。
「さむがりやのサンタ」、「スノーマン」など、
彼の代表的な作品は、この季節に読みたくなる。
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