関西学院大学
山田耕筰 校歌
駒澤大学、関西学院大学、武蔵野美術大学
これらの大学に共通するものがある。
それは、作詞北原白秋、作曲山田耕筰の校歌だ。
山田耕筰は小学校から大学まで、
全国の学校の校歌を数多く作曲した。
そのうちのおよそ100曲が北原白秋と組んだものだった。
関西学院大学では山田耕筰の直筆の楽譜を
いまも大切に保管している。
関西学院大学
山田耕筰 校歌
駒澤大学、関西学院大学、武蔵野美術大学
これらの大学に共通するものがある。
それは、作詞北原白秋、作曲山田耕筰の校歌だ。
山田耕筰は小学校から大学まで、
全国の学校の校歌を数多く作曲した。
そのうちのおよそ100曲が北原白秋と組んだものだった。
関西学院大学では山田耕筰の直筆の楽譜を
いまも大切に保管している。
Akira
山田耕筰 からたちの花
北原白秋作詞、山田耕筰作曲「からたちの花」
山田耕筰は、これをもっともむづかしい曲の一つに数え、
その歌いかたを細かく指示しているほどだ。
「からたち」の「か」をやや抑えて漸弱(ぜんじゃく)し
「らたち」はむしろ軽く流すようにする。
叙事は淡々と、叙情は切実に。
からたちの花が咲いたよ
白い白い花が咲いたよ
山田耕筰の指示を読むと
この二行を歌うむづかしさがわかる。
DX Broadrec
山田耕筰 甲子園
夏の甲子園。
選手の入場のときに使われる行進曲は
山田耕筰が作曲している。
この曲ができた1935年、
山田耕筰は甲子園で150人の学生ブラスバンドを率いて
自ら指揮棒を振った。
当時の新聞記事によると
山田耕筰はこのとき、
握力が余って指揮棒を曲げてしまったそうだ。
49歳の力強い指揮だったのだろう。
山田耕筰 パブリックドメイン
山田耕筰といえば、「赤とんぼ」「ペチカ」などの童謡や
「からたちの花」に代表される歌曲がよく知られているが、
実は管弦楽曲も多く作曲している。
しかし残念ながら出版されていないものが多く、
自筆の楽譜は戦災で焼け、
筆写譜しか残されていないという状况では
出版も演奏もむづかしかった。
2015年、
山田耕筰の全作品は著作権の保護期間が満了した。
パブリックドメインの山田耕筰。
いまは日本人すべての知的財産として誰でも自由に
山田耕筰の作品を公開できる。
山田耕筰は1886年の今日、生まれた。
「安野光雅」 テレビ草創期
絵本作家・安野光雅は、デビュー前は、美術教師をしていた。
1959年、日本教育テレビが開局する。民間初の教育専門局だ。
そこで、安野は「図工の先生」だった。
生放送の番組でスタッフは手探り。失敗の連続だった。
当時のテレビは、よく電波障害で画面が乱れ、
音声もザーッと雑音でかき消された。
その画像乱れの絵を用意しておいて
困っときには、カメラの前に出して上下に動かして
映像を遮断した。スタジオは大爆笑だった。
日本教育テレビは、のちにテレビ朝日となって様々な番組を生み出す。
美術教師だった安野光雅も、画家、装幀家、絵本作家と
幅広く活躍するのだった。
白石准
「安野光雅」 井上ひさし
絵本作家・安野光雅と劇作家・井上ひさしは、
著書の装幀、芝居のポスター、いろいろな仕事をしてきた。
最初の仕事は絵本「ガリバー」だった。
絶版になっていたが、井上が亡くなったあと、
復刻版を出すことにし、絵をすべて描きなおした。
少年のようなガリバーにヒゲをつけ、
ひょっこりひょうたん島や井上に似た人も登場させた。
むずかしいことをやさしく、
やさしいことをふかく、
ふかいことをおもしろく、
おもしろいことをまじめに
井上ひさしが実践していた信条を、
安野は描くことで実感したのだった。
「安野光雅」 谷川俊太郎
三億円事件のころ、
絵本作家・安野光雅の家に刑事がやってきた。
事件場所の近所の家をしらみつぶしにあたっていた。
どんな仕事をしているのかと聞かれたので、
安野は谷川俊太郎の本の装幀をしていると答えた。
刑事は谷川俊太郎を知らなかった。
その話を谷川にすると大笑いされた。
安野が谷川と共編で出した「にほんご」は、とても評判が良かった。
それは、谷川の「にほんご」についての感覚に負うところが大きい。
安野は谷川はいつも言葉を研いでいるように思う、という。
Ray Swi-hymn
「安野光雅」 司馬遼太郎
「雪の殿様」とは、
絵本作家・安野光雅は、一時期、
司馬遼太郎の「街道をゆく」の挿絵を担当していた。
安野が絵を描いてみせると
司馬は、アンノさんはこんなところでも絵にする、と
着眼点の意外さを指摘する。
絵に描いたリンゴと本物のリンゴでは、
絵の方がいいと言われたこともある。
ところが、司馬遼太郎は絵も描く人だった。
「街道をゆく」のオランダ紀行では自ら挿絵も描いている。
司馬遼太郎は気配りの人だ。
安野は、もしかして、司馬さんは、本当はナミの絵では
満足しなかったかもしれないと思いはじめた。
Mrs. Trusty
「安野光雅」 ターシャ・テューダー
安野光雅の絵本は、アメリカでも出版されている。
アメリカの担当編集者が、ターシャ・テューダーの家に
連れて行ってくれることになった。
園芸家でもあり、絵本作家でもあるターシャ。
彼女への手土産にドライフラワーを買おうとしたら、
編集者が顔色を変えてやめさせた。
ターシャの家は、門から車でだいぶ行ったところにある。
途中に池がある。豪邸ではなく、板で囲ったような家。
どこからでも入れる感じで小鳥がいっぱいいる。
手土産を止められた理由がわかった。
ターシャの庭は30万坪の敷地に花が咲き乱れていた。
安野は、ターシャの家をモデルにして、絵本を描こうとした。
鶏小屋や井戸のそばのバケツの中、暖炉の横の石炭などに
隠された手紙を探して、最後にはクリスマスプレゼントに出会うお話。
けれど、似たような絵本が先に出てしまい、あきらめた。
安野が描いたターシャの家を見てみたかった。
FaceMePLS
「安野光雅」 アントニ・タピエス
絵本作家・安野光雅は、
友だちに「君はタピエスのようなところがある」と言われたことがある。
そして見たこともないタピエスにあこがれた。
アントニ・タピエス。スペインの抽象表現主義の画家だ。
安野は、後年「旅の絵本」を描きにスペインを訪れた際、
無理を承知でお願いしたところ、タピエスに会うことがかなった。
玄関を入ると江戸時代の書や仏像が飾ってある。
タピエスは、岡倉覚三を知っているかと聞く。
安野は飛び上がった。彼も岡倉覚三、「茶の本」が大好きだった。
修学旅行の学生のようになって、
画用紙を取り出して、
サインをしてはもらえないかと申し出た。
タピエスは日本の筆と墨でサインをした。
安野はそれを大切にしている。
お互いに惹きあう運命だったのかもしれない。
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