2019 年 1 月 のアーカイブ

田中真輝 19年1月20日放送

190120-08
il_baro
あなたの平成

今年は新たな元号が始まる年。

その節目に振り返ってみる。
「平成」とはどんな時代だったのか。

冷戦終結、ソ連の崩壊。
バブル景気とその崩壊。
地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ、
リーマンショック。阪神淡路大震災、東日本大震災。
インターネット、スマートフォンの爆発的普及。

悲しみに彩られたニュースも多いが、
それは喜びに満ちたニュースが、小さな声で語られる
からかもしれない。
今一度、あなたの平成に、耳を澄ませてみては
いかがだろうか。

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川野康之 19年1月19日放送

190119-01

走り出す 用意ドン

「位置について、用意、ドン」

というスタートの合図、
いったいいつ頃から使われていたのでしょうか。
明文化されたのは1929年発行の陸上競技規則だったという。
ではそれよりももっと前は、どんな合図が使われていたのか。
1883年(明治16年)に行われた東京大学の運動会では、
「いいか、ひいふうみい」
で走り出していたと伝えられている。
ちなみに翌年は、
「よろしゅうごわすか、用意」
そのほか「位置について」を指示するかけ声で
「腰を上げて待てえ」
「おんちゃなケツあげい」
なんてのもあったといいます。

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川野康之 19年1月19日放送

190119-02

走り出す タクリー号

日本の最初のガソリン自動車は、
自転車の輸入販売業者であった吉田真太郎らの手によって作られた。
アメリカ車を見本にしながら、いろんな部品を工夫して、
どうにか組み立てられた自動車。
ガタクリガタクリ走るので「タクリー号」と呼ばれた。
1907年(明治40年)のことである。
タクリー号は高価であったため
事業としては成功しなかったというが、
ともかくここから日本の自動車の歴史がガタクリと走り出したのである。
一方で吉田真太郎は事業に失敗し、変転の多い人生を送った。
最後に手がけたのは温泉掘削事業であったという。

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川野康之 19年1月19日放送

190119-03

走り出す 圓太郎バス

東京の町中を元気に走っているバス。
いつ頃から走り出したのだろうか。
1923年(大正12年)、関東大震災に襲われた東京。
市内交通の要めであった市電は
レールが壊れるなど壊滅的な被害を受けた。
復旧の見通しも立たなかった。
東京市は、その頃まだ一般的ではなかった乗り物自動車に注目。
アメリカからT型フォード・トラックのシャーシを輸入し、
国内で急造したボディを載せてバスに仕立てた。
その姿が明治時代のおんぼろ馬車「圓太郎馬車」に似ていたので、
市民から「圓太郎バス」と呼ばれて親しまれた。
これが東京の市営バス、現在の都営バスの原点となった。

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川野康之 19年1月19日放送

190119-04

走り出す 競走馬の試験

馬にも試験があります。
競走馬がデビューするために必ず合格しなければならない超難関、
ゲート試験。
気性の荒い馬ほど難関度が増すという。
落ち着いてゲートに入れるか。
ゲート内に入ってから暴れないでいられるか。
ゲートが開いたらスッと出られるか。
そういう競馬馬として最低限のスタートが
きちんとできるかということがテストされます。
不合格の場合はどうなるか。
再試験です。
合格するまではデビューできない。
走り出すまでは馬もたいへんなんだな。

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川野康之 19年1月19日放送

190119-05

走り出す 大師電気鉄道

今からちょうど120年前。
1899年(明治32年)1月21日、
1両の電車が満員の乗客を乗せて
六郷橋から川崎大師へ向かって走り出した。
多摩川と平行に走る約2kmの単線。
日本で3番目の営業運転電車、大師電気鉄道の開通である。
この日以来、川崎大師へは毎年各地からの参詣客で
大いに賑わうこととなった。
電車に乗って初詣をする日本人の
新しい習慣はここから始まったという。
大師電気鉄道は後に京浜急行と名前を変え、
品川から横浜、そして三浦半島までを結ぶことになる。

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佐藤日登美 19年1月13日放送

190113-01
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酒の肴 ロングバーのピーナッツ

シンガポールの老舗高級ホテル、ラッフルズ・ホテル。
このホテルのロングバーには二つの名物がある。

一つは、ロングバーで生まれたカクテル、シンガポールスリング。
マラッカ海峡に沈む美しい夕日を思わせるジンベースの一杯だ。

もう一つは、シンガポールスリングと合わせてつまむピーナッツ。
麻袋いっぱいに入ったピーナッツがすべての席に置かれ、
お客は無料で食べることができる。
ここでの流儀は、ピーナッツの殻をそのまま床に捨ててしまうこと。

ポイ捨て厳禁のシンガポールのなかで、
ここだけはゴミを放ることが許される。

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佐藤日登美 19年1月13日放送

190113-02
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酒の肴 からすみのルーツ

日本三大珍味の一つ、からすみ。
そのルーツは紀元前の古代ギリシャやエジプトに遡る。
冷蔵保存ができなかった当時、
初夏にとれた魚の卵を保存させるために生み出された。
やがてアラブ人によって地中海沿岸へと伝えられ、
中国を経て日本にまで渡ってきた。

塩辛くねっとりした味わいが飲兵衛にはたまらない酒の肴。
薄く切ったり、大根と合わせたり、軽く炙ったり。

遥か昔の人々のおかげで、
日本人はからすみとの「ちょっと一杯」が楽しめる。

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蛭田瑞穂 19年1月13日放送

190113-03
HAMACHI!
酒の肴 乙な味

「乙な味」という表現は、日本の伝統的な和楽に由来するといわれる。

和楽では高い音域の音を「甲」と書いて「かん」と呼び、
低い音域の音を「乙」と呼んだ。

一段低くしんみりとした乙の音。
そこから趣のある状態を「乙な」と表現するようになったという。

乙な味と聞いて思い浮かべるのは、カラスミやくさやなどの酒の肴。
珍味ともいわれ、好みが分かれるが、
酒飲みにとってはたまらなく「乙」なのだろう。

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蛭田瑞穂 19年1月13日放送

190113-04
The Travelling Bum
酒の肴 タパス

酒をメインにさまざまな種類の小料理を提供する日本の居酒屋。
居酒屋のような業態の飲食店は世界的に見ても珍しいと言われる。

唯一の例外ともいえるのがスペインのBAR(バル)。
バルではワインを片手に、タパスと呼ばれる小皿料理をつまむ。

アンチョビのオリーブオイル漬け、イベリコ豚の生ハム、
エビのフリッター、チョリソのワイン煮込み、スパニッシュオムレツ。

洋の東西を問わず、酒のうまさを知る人は料理のうまさも知っている。

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