2019 年 7 月 のアーカイブ

厚焼玉子 19年7月13日放送



迎え火

旧暦7月13日はお盆の初日で
迎え火を焚いて祖先の霊を迎える日だ。
これは江戸時代に定着した風習だそうだ。

暦が変わって新暦になると
7月は稲の成長期で草取りに忙しい時期と重なる。
そこで月遅れの8月にお盆の行事を行う地方も多い。

迎え火は家の門口で炊く。
それを目印にして
亡くなった人の霊が懐かしい家に帰ってくる。

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厚焼玉子 19年7月13日放送



迎え火

7月13日はお盆の初日。
亡くなった人の霊を迎え入れるために
キュウリの馬やナスの牛をお供えすることがある。

これは故人の霊が牛に荷を牽かせ、
馬に乗って行き来するという意味だが、
同時に、ナスもキュウリも旬の野菜で
手に入りやすいからだ。

ちなみに沖縄ではサトウキビをお供えするという
話をきいた。
これを杖にしてくださいという意味だそうだ。
地方によってお盆の風習も微妙に違う。

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厚焼玉子 19年7月13日放送



迎え火

思えば当たり前のことだが
お盆は日本だけの行事だ。
迎え火を焚く風習を外国の人に説明するには
どうすればいいだろう。

「迎え火は先祖の霊を迎える火です」という簡単な説明を
英語とフランス語にしてみると

Mukae-bi is fire to welcome the spirits of ancestors.

Mukae-bi est un feu pour accueillir les esprits des ancêtres.

ちなみにフランスでは11月2日の使者の日に
お墓を掃除し、花を飾るそうだ。

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厚焼玉子 19年7月13日放送


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迎え火

7月13日はお盆の最初の日。
この日焚いた迎え火でやってきた祖先の霊は
三日間家に留まり、
16日の夕暮れ、送り火に送られて帰っていく。

迎え火はその家の門口で焚くが
送り火は地域の一大行事になっているものも多い。
京都五山の送り火に代表される山の送り火、
長崎の精霊流しなど海の送り火。

亡くなった人とお別れする寂しさは
賑やかな送り火の行事が埋めてくれるのだろう。

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厚焼玉子 19年7月13日放送



迎え火

今日は7月13日、お盆の最初の日。

迎え火を焚くために玄関先や門の前を掃除して
打ち水をする。
暑い日にはその打ち水に蝶がやってきて
水を吸うことがある。

蝶は死者の魂、あるいはあの世からの使いと
考えられていたが、
亡くなった人がお盆に帰ってくるときに
蝶の姿をしていると言い伝える地方もあるそうだ。

蝶はカラダを冷やすために水を吸う。
打ち水で小さな命を助けるのも
亡くなった人への供養になるのではないだろうか。

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大友美有紀 19年7月7日放送



「たなばたゆかりの地」 奈良・葛城市・棚機神社

今日は7月7日。七夕。
日本全国には「たなばたゆかりの地」が数多くある。

たとえば、奈良県葛城市(かつらぎし)の「棚機神社」。
棚に機械の機と書いて、「たなばた」。

5世紀ごろ、この地に中国から、
機台付きの機(はた)、
それを織る織女(しゅくじょ)、
オトタナバタの説話や機織りの技術向上を願う儀式・七夕儀礼の
3つが伝えられたという。
それが七夕伝説に結びついた。

神社の所在地は、葛城市太田小字七夕。
七夕で過ごす七夕の夜は、晴れたのだろうか。

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大友美有紀 19年7月7日放送


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「たなばたゆかりの地」 奈良・葛城市・棚機の森

今日は7月7日。七夕。
日本には、数多くの「たなばたゆかりの地」がある。
そのひとつ、奈良県葛城市(かつらぎし)の「棚機神社」。

この地で、日本で最初の棚機の儀式が行われたと考えられている。
葛城市太田には「棚機の森」と呼ばれる場所がある。
かつて「葛木倭文座天羽雷命神社」
(かつらき しとりにいます あめのはいかづちのみこと じんじゃ)があったという。
倭文(しとり)とは古代の布のこと。
今は、「タナバタさん」と呼ばれる古い石の祠が置かれ、
織物の神様、天棚機姫神(あめのたなばたひめのかみ)が祀られている。

長らく氏子不在で神社は荒れ果てていた。
平成4年、保存会が結成され、復活できた。
境内を掃き清め、祭祀を行い、鳥居も建立した。
毎年7月7日には七夕祭りも行われる。

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大友美有紀 19年7月7日放送


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「たなばたゆかりの地」 枚方・交野・天野川

今日は7月7日。七夕。
日本には、数多くの「たなばたゆかりの地」が存在する。
大阪、枚方市(ひらかたし)・交野市(かたのし)も
七夕伝説が伝わる場所だ。

その由来のひとつが、枚方・交野を流れる天野川(あまのがわ)。
稲作が伝わった頃、この地は「あまの」甘い野と讃えられていた。
豊かな土地、という意味だろう。
そこを流れる川は「甘野川」、甘い野の川だった。
それが転じて七夕伝説の天の川になった。
平安時代、狩に来た在原業平が、天の川になぞらえた歌を詠んだ。
「狩り暮らし 七夕つめに宿からむ 天の河原に我は来にけり」
狩に来て、すっかり日も落ちてしまった。
今日は織姫に宿を借りましょう。
私たちは、天の川まで来てしまったのだから。

天野川は、交野から枚方を通って淀川に流れ込む。
その合流点の近くに、鵲橋(かささぎばし)がある。
織姫と彦星の年に一度の逢瀬のために、かささぎが羽を広げて、
橋をかけた。その伝説にちなんでいる。

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大友美有紀 19年7月7日放送


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「たなばたゆかりの地」 枚方・交野・機物神社

今日は7月7日。七夕。
日本に存在する数多くの「たなばたゆかりの地」。
大阪、枚方市(ひらかたし)・交野市(かたのし)も
そのひとつ。

両市には天野川が流れ、
交野にある星田妙見宮(ほしだみょうけんぐう)は、
天上から降った七曜の星が落ちた場所のひとつとされている。
交野にはまた、機物神社(はたものじんじゃ)もある。
養蚕や布を織る技術を持つ者たちが、大陸から渡来、定住し、
七夕伝説と結びついたことが起源だといわれる。

七夕ゆかりの地を巡る。
大阪の新しい楽しみ方かもしれない。

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大友美有紀 19年7月7日放送


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「たなばたゆかりの地」 福岡・小郡・七夕伝来

今日は7月7日。七夕。
日本には、数多くの「たなばたゆかりの地」がある。

福岡県小郡市には「媛社神社(ひめこそじんじゃ)」
通称七夕神社がある。
筑前、筑後、肥前の境界に位置する小郡。(おごおり)
かつて筑後の国の献上品は「米と織物」であり、
織物産業が盛んだった。
古来から「たなはたつめ」という機織りの女神を
信仰していたという。

そこに中国から牽牛と織女の物語が伝来。
たなはたつめ信仰と混ざり合い、七夕信仰となった。
中国からこの地へは有明海を通る、
安全なルートがあった。
小郡に七夕信仰が根付いたのは、
日本で最も早い時期だったと言われている。

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