喉が渇いたなら。 〜炭酸飲料〜
世界三大美女として知られるクレオパトラ。
そんな彼女の美への熱き探究心から生まれた飲み物がある。
ある日彼女は、
真珠のような輝きや光沢を手に入れたいという想いから
飲んでいたワインビネガーに
真珠のイヤリングを落とした。
すると、真珠から
たくさんの泡が湧き出てきたのです。
真珠のミネラルがたっぷりと含まれた
その魔法のような飲み物を
クレオパトラは美容と不老長寿の秘薬として
好んで飲んでいたんだとか。
これが炭酸飲料のはじまりと言われている。
喉が渇いたなら。 〜炭酸飲料〜
世界三大美女として知られるクレオパトラ。
そんな彼女の美への熱き探究心から生まれた飲み物がある。
ある日彼女は、
真珠のような輝きや光沢を手に入れたいという想いから
飲んでいたワインビネガーに
真珠のイヤリングを落とした。
すると、真珠から
たくさんの泡が湧き出てきたのです。
真珠のミネラルがたっぷりと含まれた
その魔法のような飲み物を
クレオパトラは美容と不老長寿の秘薬として
好んで飲んでいたんだとか。
これが炭酸飲料のはじまりと言われている。
ツヨポン
喉が渇いたなら。 〜ラムネ〜
夏になると、なんだか飲みたくなるラムネ。
味はもちろん、あのビー玉が妙に恋しくなる。
この方法は、
約150年前にイギリスで誕生したと言われている。
ワイン瓶などで使用されるコルクは、
高価なことと時間が経つと炭酸が抜けやすいことから生まれた。
幕末に米国のペリーが率いる黒船が来航したときにも、
船にはビー玉で栓がされた
炭酸のレモネードがたくさん積まれていた。
この飲み物を江戸幕府の役人に渡すと
「ポン!」と大きな音で栓があけられた。
その音を聞き、役人は
「これが新しい鉄砲か!」と
思わず、腰の刀に手をかけたんだとか。
喉が渇いたなら。 〜スポーツドリンク〜
1960年代中頃、
ダムやプラントの建設現場で
炎天下のもと作業していた作業員が
脱水症状を防ぐために
自由に水を飲むことが許されていたにも関わらず、
相次いで倒れる事件が多く発生していた。
また同時期に、
アメリカではアメリカンフットボール選手の発汗による
脱水症状や熱中症による死亡者が
年間平均で約20名という数字を記録…。
この事態を受けて、調査と研究が行われ、
水を飲みすぎると体内の塩分濃度が薄まり、
体内の電解質バランスが崩れてしまうという
人体のメカニズムが明らかにされたのであった。
そこで、フロリダ大学のアメリカンフットボールチーム
「ゲータレード」全面協力のもと、
ロバートケード博士によって、
世界ではじめてスポーツドリンクが誕生した。
このスポーツドリンクをきっかけに、
水分だけではなく、ミネラルも同時に補給することが重要視され、
さまざまなスポーツドリンクが生まれることとなった。
喉が渇いたなら。 〜ミルク〜
お釈迦さまがインドの小さな国の王子だった頃。
山奥に篭り、1週間に1食しか食べないという
厳しい絶食修行を行った。
弱り切った体で下山をした釈迦に
村の少女スジャータが
牛乳でつくられた乳粥を捧げた。
その乳粥を食べた太子は
これほど美味しいものが
この世にあったのかとたいそう感動し、元気を取り戻した。
そして、菩提樹のもとで瞑想し、
悟りを開くことができたと言われている。
そのため、釈迦は
牛乳や乳製品のことを
食料となり、気力を与え、
皮膚に光沢を与え、
楽しみを与えるものとして讃えている。
喉が渇いたなら。 〜ミルク〜
日本人が牛乳の知識を得たのは、
6世紀中頃のこと。
朝鮮半島から帰化した智聡という男が
仏典や医薬書と一緒に
牛乳の効果や乳牛の飼育方法が書かれた書物を持って帰ってきたことが
きっかけと言われている。
大化の改新の頃、
天皇に牛乳を献上したところ、
「牛乳は体をよくする薬である。」とたいそう喜び、
牛乳を飲むという文化を日本に持ち込んだ智聡の子に
「和薬使主(やまとくすりのおみ)」の姓を与えた。
その後、
朝鮮からの渡来人が増えるにつれ、
次第に乳搾りや乳加工が広まり、
奈良時代には、当時の乳加工品が朝廷に献上されていたという。
喉が渇いたなら。 〜ぶどうジュース〜
1869年、ニュージャージー州。
ひとりの医師が、教会で行われる聖餐式に
未発酵のワインを使うことはできないかと考えていた。
彼はある日、自宅のぶどう農園で、
絞った果汁を密閉した瓶に入れ、
発酵を防ぐために、瓶ごと沸騰したお湯の中へ入れ、
未発酵のワインづくりに挑戦。
数週間後に瓶をあけると
そこには、未発酵のワイン
つまり、ぶどうジュースが存在していたのだ。
そして彼は、牧師たちに聖餐式に使うことを薦め、
ニュージャージー州南部の教会へと販売を開始した。
その医師の名前は、
トーマス・ブラムウェル・ウェルチという。
喉が渇いたなら。 〜ビール〜
紀元前4000年以上前。
メソポタミアで人類が農耕生活をはじめた頃、
放置してあった麦の粥に、酵母が入り込み、
自然に発酵したことで「ビール」は誕生したと言われている。
中世のヨーロッパでは、
「液体のパン」と考えられていたため、
キリスト教の修道士の間で盛んに作られていた。
当時の修道院は、知識と経験の宝庫。
彼らがつくるビールは、たちまち大人気!
醸造量も増え、
一般の人にも飲まれるほどに広まっていった。
そして、中世の末頃には、
民間でもビールづくりが開始されるようになっていったんだとか。
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喉が渇いたなら。 〜ビール〜
1516年、
ドイツのバイエルン地方の君主
ウイルヘルム4世は
「ビール純粋令」を発令する。
修道院でつくられる美味しいビールを
見よう見まねでつくる民間企業が増え、
ビールの品質が全体的に低下したことが理由として言われている。
「ビール純粋令」の中身は、
「ビールは大麦とホップ、そして水以外のものを醸造してはならない。」
というものであった。
これにより、
その後のドイツビールの品質と人気の上昇はとどまることを知らなかった。
この「ビール純粋令」は、
ドイツでは今もなお、国内で製造される
下面発酵ビールにおいては守られている。
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