里帰り
去年の今日、
首都圏へ向かう高速道路は大渋滞だった。
お盆に帰省した人たちのUターンラッシュだ。
ところで、「お盆に里帰り」という言葉を
よく聞くようになった。
もともと「里帰り」は
もとは、女性が結婚後はじめて実家に帰ることをさした言葉だが、
近ごろではお盆や年末年始の帰省も
里帰りと呼ぶらしい。
今年は帰省した人の12%が
今日のUターンを予定しているそうだ。
里帰り
去年の今日、
首都圏へ向かう高速道路は大渋滞だった。
お盆に帰省した人たちのUターンラッシュだ。
ところで、「お盆に里帰り」という言葉を
よく聞くようになった。
もともと「里帰り」は
もとは、女性が結婚後はじめて実家に帰ることをさした言葉だが、
近ごろではお盆や年末年始の帰省も
里帰りと呼ぶらしい。
今年は帰省した人の12%が
今日のUターンを予定しているそうだ。
伊藤若冲の里帰り
「30年が一日のように過ぎた」
江戸時代の絵師、伊藤若冲はその後半生を絵にささげた。
若冲は絵師になりたいがために
40歳で家督を弟に譲ってしまった。
死後の供養のことまで算段しているのを見ると
実家との交わりは薄かったのかもしれない。
世界でも高く評価される伊藤若冲。
海外に渡った作品のうち90点あまりが、
この秋、日本(の出光美術館)に里帰りする。
しかし。若冲のふるさとは、
絵の中にこそあるのかもしれない。
大黒屋光太夫の里帰り
「優曇華(うどんげ)の花」
3000年に一度咲くという伝説の花。
この花にたとえられるほど、困難な里帰りがあった。
江戸末、伊勢から船出した大黒屋光太夫一行は、
嵐のためロシアへ流れつく。
帰国願いが女王エカテリーナ2世に認められ、
やっと北海道まで帰ってくるまでが10年。
無事に帰国できたのは16人中わずか3人だった。
まさに優曇華の花。
光太夫がふるさと伊勢に里帰りするまで、
さらに10年の月日を要する。
江戸の子守歌
「江戸の子守歌」は
今から約250年前、江戸の町で歌われはじめた。
作詞、作曲は不明。
「坊やのお守りは どこへいった
あの山超えて 里へ行った」
お盆の薮入りの日なのだろうか、
子守の娘を里に返し
母親みずから子供を寝かしつける様子がうかがえる。
この歌はテレビもネットもないこの時代に、
日本初の流行歌となって日本中にひろまった。
峠の我が家
「峠の我が家」のメロディを聴いて
私たちが思い描くのは
小さな家が建つ山間のふるさと。
しかし、この歌のふるさとはアメリカ・カンザス州。
空晴れわたる大地に、
バッファローやシカがたわむれる大平原が歌われ
山や峠は全くない。
Home, home on the range
Where the deer and the antelope play
ふるさとを思う心は同じでも、目に浮かぶ景色はそれぞれ。
作詞家中山知子が「峠のわが家」と訳したことで、
日本人のふるさとの歌になった。
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