8. 富士山のはなし 富士上人
今では世界中から登山者を迎える富士山も
奈良時代から平安時代にかけては噴火が続き、
とても登れるような山ではなかった。
そのため富士登山は修行の一環とみなされ、
「富士上人」と呼ばれた僧は数百回と登頂し、
現在の登山道を開拓したとされている。
今日は富士山の日。
山頂から望む景色は、苦しさを乗り越えてこそ。
今も昔も、私たちの心を洗うのだろう。
8. 富士山のはなし 富士上人
今では世界中から登山者を迎える富士山も
奈良時代から平安時代にかけては噴火が続き、
とても登れるような山ではなかった。
そのため富士登山は修行の一環とみなされ、
「富士上人」と呼ばれた僧は数百回と登頂し、
現在の登山道を開拓したとされている。
今日は富士山の日。
山頂から望む景色は、苦しさを乗り越えてこそ。
今も昔も、私たちの心を洗うのだろう。
7. 富士山のはなし 山岡鉄舟の歌
今日は富士山の日。
この日にこそ思い出したい歌がある。
晴れてよし 曇りてもよし 富士の山
もとの姿は 変わらざりけり
詠んだのは幕末の政治家、山岡鉄舟。
青空の下にそびえる雄大な富士も、
雲がかかって見えない富士も、
富士山そのものは変化することなくそこにある。
目に映るものだけに惑わされず、
変わることのない富士山の本質を
山岡は心の目でとらえていたのだろう。
人生も同じ。
晴天の日もあれば
曇りや雨の日もある。
変化に右往左往せず、
本質を変えず、どっしりと生きよ。
今日も富士山がそう言っている。
6. 富士山のはなし 富士講
今日は富士山の日。
すっきりと晴れた日に
眼の前に現れる富士山には、
思わず拝みたくなるような神々しさ、美しさがある。
そんな富士山に登ったら、拝んだら。
きっとご利益があるに違いない。
そう思う気持ちは、時代に関係なく。
室町時代には修験者とともに、庶民も富士山に登り始めた。
険しい山の中に登山道もでき、
江戸時代には多くの人に登山が広まったが、
江戸から富士山頂を目指すには片道四日。
現在と比べると莫大な費用を要した。
そこで人々は「富士講」という信仰組織に入り、
富士講のメンバー内でお金を出し合い、
くじで当選した人が富士山に登り、皆の祈願を行う。
という仕組みが出来上がっていった。
富士講は爆発的に増えつづけ、
江戸時代の後期には、こんな言葉ができていた。
江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講。
江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人。
5. 富士山のはなし かぐや姫と富士山
日本一の山「富士山」。
実は日本最古の物語である「竹取物語」のラストシーンに登場する。
物語の最後では、月に帰るかぐや姫が置いていった不老不死の薬を
帝が富士山の頂上で焼くのだが、
実は富士山のある富士市に伝わる物語では、
かぐや姫は月に帰るのではなく
富士山に登り、忽然と姿を消したと言い伝えられているそうだ。
さらに、かぐや姫を見つけたと言われる光る竹は
富士市にある「竹採塚」という竹林がモデルではないかとも
言われている。
今日は富士山の日。
まだ白い雪が残る富士山に、
かぐや姫の儚い姿を重ねて見るのもまた、風情がありそうだ。
4. 富士山のはなし 芙蓉峰
2月23日、今日は富士山の日。
富士山は、又の名を芙蓉峰と言う。
芙蓉は花の名であり、
夏から秋にかけて淡い紅色や白色の大きな花を咲かせる。
一日で散ってしまう儚さや、その姿形の美しさから、
しばしば美女を形容する言葉としてもその名が使われてきた。
富士と芙蓉。
そのどちらの名前にも、
二つとない神秘的で美しい山という意味がこめられている。
3. 富士山のはなし 文化遺産としての富士山
富士山を、世界遺産に。
1992年に日本が世界遺産条約に加盟してから、
自然遺産として登録を目指してきた。
しかし、登山者によるごみ問題など環境への配慮が
改善されずに、文化遺産として登録する方針に切り替えられる。
そして、2007年にはユネスコの暫定リストに登録。
2013年に、やっと登録された。
信仰の対象と芸術の源泉というタイトルで登録を受けた富士山。
山体はもちろん、周辺の神社、風穴、溶岩、河口湖などの湖や沼など
全部で25ヶ所の複合遺産だ。
富士山から最も離れたところにある三保の松原。
歌川広重の浮世絵を始め数々の芸術作品のモチーフとなってきた。
距離が離れすぎていて、対象から外れそうになったが
日本の説得で、一緒に登録されることになった。
現在、海外からの登山客も増える中で、
環境への取り組みも進んでいる。
富士山に魅了されてきたすべての人の願いを乗せて。
その美しい姿を、いつまでも。
今日は富士山の日。
2. 富士山のはなし 富嶽三十六景
今日は富士山の日。
今月から新しくなった日本国パスポートも、
富士山のデザインになった。
各ページに、葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち
24作品が印刷されているのだ。
世界的にも有名な葛飾北斎の「富嶽三十六景」は、
日本各地から眺めた富士山が楽しめる。
北斎は50代で江戸から西国(さいごく)へ旅して、
東海道の各宿場から富士山をスケッチしたという。
その後も構図を練り続け、
富嶽三十六景が完成したのは北斎72歳の時だった。
当時、あまりの人気のため、十景が追加され
富嶽三十六景は全部で46種類になった。
町人文化が花開き、五街道や宿場町が整ったとはいえ、
それでも旅に出られる人は限られていた。
庶民は旅への憧れも込めて、北斎の浮世絵を求めたのかもしれない。
遠い場所を思ってワクワクする楽しさは、
富士山の絵を眺めていた江戸の頃も、令和の今も、
きっと変わらない。
1. 富士山のはなし 銭湯の富士山
今日は富士山の日。
初夢で「一富士二鷹三茄子」と言うように
富士山は昔から縁起の良いものと決まっている。
富士山といえばお風呂屋さんの壁を思い出す人も
多いのではないだろうか。
銭湯の壁画には、商売繁盛の願掛けも込められている。
末広がりのカタチが運気を上げるということで
多くの銭湯で富士山の絵が好まれた
逆に、お客が去るを意味する動物の猿や、
運気が下がると言われる夕日などは描かれない。
銭湯の壁に初めて富士山を描いたのは、東京のとある店だった。
その始まりは、こどもたちに喜んで湯船に入ってほしいから、
という、意外にもシンプルな理由だった。
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