上野公園を作った医師
明治6年、154年前の今日5月9日は、上野公園が開設された日。
戊辰戦争で焼け野原になった上野の山には、
病院が作られることになっていた。
異を唱えたのは、オランダ人医師、アントニウス・ボードウィン。
東京の近代化にやっきになっていた明治政府に、
豊かな自然を失くしてはいけないと進言する。
今、その恩恵を享受する人々を見て、
ボードワンは喜んでいるだろう。
噴水の西側、緑あふれる林の中に
その銅像はたたずんでいる。
上野公園を作った医師
明治6年、154年前の今日5月9日は、上野公園が開設された日。
戊辰戦争で焼け野原になった上野の山には、
病院が作られることになっていた。
異を唱えたのは、オランダ人医師、アントニウス・ボードウィン。
東京の近代化にやっきになっていた明治政府に、
豊かな自然を失くしてはいけないと進言する。
今、その恩恵を享受する人々を見て、
ボードワンは喜んでいるだろう。
噴水の西側、緑あふれる林の中に
その銅像はたたずんでいる。
上野公園を作った医師の銅像
明治6年の今日5月9日は、上野公園が開設された日。
自然を残し公園にせよ、と進言した
オランダ人医師、アントニウス・ボードウィン。
その功績をたたえ1972年に作られた銅像は、
2006年に作りなおされている。
新旧の銅像はまるで別人。あごひげもなくなった。
最初の銅像は、
手違いで、彼の弟の写真をもとに作ってしまったのだ
弟のアルベルトゥス・ボードウィンは、オランダ駐日大使。
日本の新時代を支えてくれた兄弟だった。
上野公園と森鴎外
今日5月9日は、上野公園が開設された日。
上野動物園の裏手には、
新婚の森鴎外が住んだ家が残る。
結婚の直前、
留学先のドイツから追ってきた恋人と別れさせられている。
事件を素材にした、処女小説「舞姫」は上野の家で執筆された。
新婚家庭で、別れた恋人を思い浮かべ筆をとる夫。
見守る妻の心はいかばかりか。
理由は定かではないが、
わずか1年半で離婚する。
鴎外にとって
上野公園は、ほろ苦い思い出の地であろう。
上野公園と夏目漱石
今日5月9日は、上野公園が開設された日。
「二人は別にいくところもなかったので、
(竜岡町から池之端へ出て)上野の公園の中に入りました」
夏目漱石 こころ。
恋のライバルKを自殺に追い込む冷たいことばを
主人公が投げつける、クライマックス。
その舞台が冬の不忍池。
褐色の杉木立と人気のない池が、
主人公のこころのごとく寒気を誘う。
一方、今、初夏の不忍池は新緑に包まれている。
夏がくれば蓮の花が池を彩る。見ごろは早朝。
都会の真ん中に、
さまざまな顔を見せる豊かな自然がある。
上野公園の大楠
今日5月9日は、上野公園が開設された日。
上野東照宮のご神木、
大楠は幹の太さ8メートルで上野公園最大。
樹齢は600年。
明治6年、上野公園ができたときも
江戸のはじめ上野東照宮に徳川家康がまつられたときも
数々の戦争や災害のときも、
大楠はそこにあり、人の営みを見つめてきた。
英語でcamphor tree
樹液はカンフル剤に使われたこともある。
上野の山の大楠は、
どんなときも気力を回復させる力を
東京の人に与えてきたのだろう
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