ペスト マスク
かつて世界でもっとも恐れられた病気、ペスト。
17世紀の人々はその原因を大地から出る有毒ガスだと考えた。
フランス人シャルル・ド・ロルムは、
危険な任務に当たるペスト医師のために特殊な防護服を発明した。
帽子・ガウン・手袋をつけ、
鳥のくちばしのようなマスクで顔を覆った。
くちばしには香りの強いハーブが入っており、
悪い空気から身を守ると考えられた。
ペスト医師の多くは医学の知識を持たない素人であり、
その効果を疑うこともなく命を落としたと言われている。
ペスト マスク
かつて世界でもっとも恐れられた病気、ペスト。
17世紀の人々はその原因を大地から出る有毒ガスだと考えた。
フランス人シャルル・ド・ロルムは、
危険な任務に当たるペスト医師のために特殊な防護服を発明した。
帽子・ガウン・手袋をつけ、
鳥のくちばしのようなマスクで顔を覆った。
くちばしには香りの強いハーブが入っており、
悪い空気から身を守ると考えられた。
ペスト医師の多くは医学の知識を持たない素人であり、
その効果を疑うこともなく命を落としたと言われている。
ペスト 予言
「異邦人」で有名なフランスの小説家、アルベール・カミュ。
彼の「ペスト」という小説にこんな一節がある。
災厄は自分に降りかかってきたときは
容易に信じられない。人々はいつも無防備だ。
デマ、パニック、買い占め、検査待ちの行列、
医療崩壊、事態を軽視する役人たち。
彼はウイルスに翻弄される人間の姿を通して、
世界がいかに不条理に満ちているかを描いた。
ペストはやがて急速に弱まり、終息を迎える。
人々はすべてを忘れ、元の暮らしに戻っていく。
この騒ぎが終わったあと、私たちは何かを学んでいるだろうか。
ペスト 解明
世界で1億6千万人もの命を奪い、
もっとも怖れられた病気、ペスト。
その恐怖に終止符を打ったのは日本人だった。
細菌学の父 北里柴三郎
1894年、彼は政府に依頼され、
ペストの蔓延する香港を訪れた。
到着からわずか2日後の6月14日、
血液中に潜むペスト菌を世界で初めて発見する。
さらにペストはネズミから感染するという、
二千年間誰にもわからなかったことを解明。
すぐさま日本で大規模なネズミ駆除作戦を敢行した。
1927年以来、日本でペスト患者は出ていない。
窓を開けよう 大きな窓
「窓が大きさを増すのは、文明の拡大を暗示する」。
チェコ出身で、日本にも多くの建築を残した
建築家アントニン・レーモンドはそう言った。
異なる民族が陸続きで存在したヨーロッパでは、
外敵から身を守るために、強固な壁をつくる必要があった。
時代が下り、恐るべき敵が少なくなるにつれ、
少しずつ窓は大きくなってきたという。
一方で、モダニズム建築の礎を築いたル・コルビュジエは
「ヨーロッパの建築の歴史は、窓との格闘の歴史である」
という言葉を残している。
ヨーロッパの住まいを象徴する、石造りや煉瓦造り。
丈夫で頼りがいのある印象を受けるが、
石や煉瓦を積上げて作った壁に大きな窓を開けるのは、
建築家にとって長い間、悩みの種だった。
風が暖かくなってきた、今日このごろ。
大きな窓が開けられるのは、
平和の象徴であり、
建築家たちの積年の夢でもあるのかもしれない。
さあ、窓を開けよう。
Raymond.Ling.43
窓を開けよう 窓の由来
まど、という言葉を辞書で調べると、
いくつかの語源に行き当たる。
顔についている目の戸口と書いて、目戸(まと)。
人間にとって、目は外の世界を見て、
情報を受信するためのもの。
目が、身体の内側と外側をつなぐ穴だとすると、
窓は、家にとっての目だということだろうか。
または、間のとびらと書いて、間戸(まと)とも書く。
伝統的な日本家屋においては、周囲に壁はなく、
柱と柱の間に襖や障子を入れる。
シーンによって自由に仕切りをつくることもできるし、
夏には完全に開放して一続きの空間にすることもできた。
窓は、風と光を採り入れるだけのものではない。
間のとびらとして、内側と外側を曖昧につなぎながら、
目の戸口として、外の世界をスクリーンのように映してくれるものでもある。
出窓、飾り窓、天窓、フランス窓…
その人と、その場所の関係性の数だけ、
いろんな窓があるのかもしれない。
さて、いま目の前にある窓は、
あなたにとってどんな窓だろうか?
窓を開けよう 世界一の窓
世界一有名な窓は?
と聞かれて、何を思い浮かべるだろうか。
ピラミッドには窓がない。
エッフェル塔や、タージマハルや、サグラダ・ファミリアは、
壮大な建築は思い浮かべど、窓の印象は薄いかもしれない。
あるいは、誰もが知っている窓は、
あなたの部屋の中にもある。
ウィンドウズ。
複数の窓=ウィンドウを開く操作方法から名付けられた、
世界のコンピュータの80%以上で使われているシステム。
そもそも英語のwindowは、「風の目」を意味する。
その昔、風を防ぐためにどれだけ壁を作ろうとも、
塞ぎきれない隙間から、風は入りこんできてしまった。
その小さな穴を「風の目」と比喩的に捉えたのが、窓のはじまりなのだ。
いまやコンピュータは、手のひらサイズになった。
どれだけ遠ざけようとも、私たちの生活のなかに、
インターネットの風はどんどん吹き込むようになってきている。
近い将来、あらゆるものが窓となる時代に、
人と窓との付き合い方は、どう変わっていくのだろうか?
Ruth and Dave
窓を開けよう 窓税
イギリスの古い街を歩くと、
窓枠だけがあり、ガラスがふさがれている窓が見つかるかもしれない。
これは実は、1600年代の終わりから、実に150年以上にもわたり実施された、
「窓税」の名残。
当時、ガラスは非常に高価なもので、
裕福な家でなければガラスを窓に使うことができなかった。
逆に言えば、窓が多い家は裕福だろう、ということで、
住宅の窓の数に応じて課税されたのだ。
しかし、税を逃れようとして、
窓を埋めてしまう人々が続出。
そのため日光も射さず、風通りもない部屋が出来上がり、
健康を害する人々も後を絶たなかったとか。
この少し変わった税制は、
江戸時代の日本にもあった。
「間口税」と呼ばれ、家の間口の広さごとに税金がかかる仕組み。
京都では、節税のために町家の間口はどんどん狭くなり、
間口が狭く奥に細長い「うなぎの寝床」と呼ばれるまでに至ったとか。
大きな窓を自由に開けられることは、
いつの時代も当たり前のことではないのだ。
Shinoda-tym
窓を開けよう 日本一の窓
日本一窓の多い部屋、は定かではないが、
日本一窓の多い茶室は、
江戸時代に建てられた京都の擁翠亭(ようすいてい)
だと言われている。
設計者は、3代将軍徳川家光の茶の湯の先生であった
小堀遠州(こぼりえんしゅう)。
その茶室は、なんと全部で13の窓を持ち、
「十三窓席」(じゅうさんそうせき)の異名がついている。
中に座ると、眼前には色鮮やかな緑の庭園が広がる。
茶室の閉鎖性と、茶屋のような開放感が同時に存在する、
ちょっと変わった茶室。
千利休が好む、「わび」「さび」を代表する内向きの趣に対し、
落ち着きのあるたたずまいの中にも華やかさを伝える
遠州の「きれいさび」という美意識が、
見事に体現されている。
彼は、窓を開け放つことで、
茶会は暗く閉ざされたものという価値観にも、
軽やかに風と光を採り入れたのだ。
窓を開けよう 窓辺の人
善も悪も、ようするに人間の内にあるもの
すべてを引き出して際立たせるのが
窓なのである。
都市や建物を研究する建築史家であり、
建築家としても活躍する藤森照信はそう言った。
窓辺に立った人には、額縁に入ったように、
安定感と、格別な気配が生まれるという。
想像するのは、映画のワンシーン。
ラブロマンスでは、窓辺で恋人に想いを馳せ、
サスペンスでは、窓越しに異変がないか目を光らせる。
コメディは、たいてい窓を突き破るし、
ファンタジーは、窓から未知への旅に出る。
窓辺は人の本質を引き出し、
想像力をかき立ててくれるのだ。
家から出られない日曜日。
たまには窓辺に椅子を置いたりして、ゆっくり過ごしてみれば、
あたらしい考えや、今まで知らなかった自分が見つかるかもしれない。
Colt International Limited
窓を開けよう 窓は生命である
イタリアの建築家でありデザイナー、ジオ・ポンティは、
窓は生命であり内部でもある、と言った。
ピラミッドや塚といった、
幾何学に基づく古代建築の、現代の建築との違いは、
窓がないこと。
それもそのはず、墓では誰も会わないからだ。
一方で、マシンランドスケープと呼ばれる、
巨大なデータセンターや、物流倉庫がある。
現代の生活の象徴とも言える人間不在の建築には、
当たり前のように、窓はない。
窓は、
その内部で生活する人々のためのものであり、
そこに人が生きている証拠でもある。
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