古居利康 12年9月23日放送
次男がつくった日本 ⑧三遊亭円朝
三遊亭円朝は、次男だった。
父は初代橘家圓太郎。加賀藩の武士の家に
生まれたが、生来放蕩の癖(へき)があり、
天保年間に刀を捨て噺家に転じた物好き。
ちょうどその頃生まれたのが、
のちに三遊亭円朝となる次男、次郎吉。
長男は父の放埒ぶりを嫌って出家してしまった。
その代わり、かどうかは定かでないが、
次郎吉は二代目円生の弟子にされ、
7歳のときから高座に上げられた。
10歳で二つ目に昇進。16歳で円朝を襲名、
またたくまに真打ちになってしまった。
それが、1855年、ペリー来航の翌年のこと。
円朝は坂本龍馬や土方歳三の4つ年下だった。
黒船だ、尊王攘夷だ、と、物騒な世の中をよそに、
円朝は名人の道を極めていく。
噺も巧いが、新作をこさえても右に出る者がいない。
『芝浜』『文七元結』『鰍沢』『怪談牡丹灯籠』。
いまも古典の名作とされる噺ばかり。
円朝の高座を速記した文章は、
二葉亭四迷に影響を与え、言文一致の小説の誕生に
たいそうな影響を与えたそうな。