名雪祐平 09年4月18日放送
アルベルト・シュヴァイツアー
ピアノの旋律が、アフリカの夜の闇へ
こぼれていく。
日々の診療で、ふしくれだったシュバイツアーの指が
バッハを忠実に演奏する。
最も好んで弾いた曲は、「トッカータとフーガニ短調」。
病院のすみずみに、平和を告げるような重厚な調べ。
オルガン奏者として名高いシュバイツアーが
白いシャツ姿でピアノを弾く写真が残っている。
その姿に、彼自身がいった言葉を重ねよう。
Success is not the key to happiness.
Happiness is the key to success.
成功が幸福の鍵などではない。
幸福が成功の鍵なのだ。
ココ・シャネル
1971年、ココ・シャネルは
住まいにしていたホテルリッツのスイートルームで
87歳の波乱の生涯を閉じた。
戦争中、ドイツの将校と愛人関係を結び、
フランスを裏切ったという非難もあり、
その亡骸は、高級墓地への埋葬を断られる。
体を束縛するコルセットだけでなく、
心のコルセットからも女性を解放したデザイナー
そう絶賛された20 世紀モードの女王はいま、
死んで祖国を追われ
スイス・ローザンヌの墓地に眠る。
その墓の前には、白い小さな花が咲き乱れている。
ディマジオ
男は、妻と約束した。
妻が死んだら、火曜と土曜の週2回、
お墓に赤いバラを贈ることを。
男は、妻と別れた。それでも、
約束通り、妻の死後、20年間バラを贈りつづけた。
男は、ジョー・ディマジオ。
妻は、マリリン・モンロー。
不可解な死を遂げたモンローの柩に寄り添い、
ディマジオは涙で頬を濡らし、
何度も繰り返した「I love you」。
赤いバラは知っている。
ディマジオの愛には
1つも不可解なものがなかったことを。
エジソンとテスラ
1915年のノーベル物理学賞。
二人の天才発明家が候補に挙がった。
1915年のノーベル物理学賞。
二人の天才発明家が候補に挙がった。
直流式による電力を発明したトーマス・エジソン、と
交流式を発明したニコラ・テスラ。
しかし、テスラは同時授賞を拒否した。
その30年前、当時テスラの上司だったエジソンが
テスラの交流式発電の発明を徹底的につぶそうとした。
テスラは、エジソンを深く恨んだ。
「天才とは、人の99%の努力を、1%の努力で覆す存在」
と、自分をおとしめたエジソンのことを
テスラは強烈に皮肉った。
けれども
火花が飛ぶような、天才同士の激しい嫉妬によって
大きく電気科学は進歩したのである。
きょう、4月18日は、発明の日。
サン・テクジュペリ
1998年、マルセイユ沖で、
銀のブレスレットが発見された。
そこに刻まれていたのは、
第二次世界大戦で消息を絶った
フランス軍パイロットの名前。
サン=テグジュペリ。
まさしく『星の王子様』の作者だった。
『星の王子様』で、
仲良くなるとはどういうことかを
こう語ったサン=テグジュペリ。
大切なものは、目に見えない
すすんで参加した戦争に
大切なものはあったのだろうか。
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーベン
「偏屈が服を着て歩いている。」
と言われた、大作曲家ベートーベン。
すぐ切れてしまう激しい気性。
過剰なまでの他人への干渉。
耐えきれず、多くの友人、恋人、肉親が離れていった。
そんな自分を嘲るように、
ベートーベンの臨終の言葉は、
「喜劇は終わった」
テーラー&バートン
2度のアカデミー主演女優賞と、
7度の離婚を経験したエリザベス・テーラー。
映画『クレオパトラ』で共演し、
4人目の夫となったリチャード・バートンから贈られたのは、
69.42カラットの最高グレードのダイヤモンドだった。
二人の名前をとって、テーラー・バートンと呼ばれた愛の結晶。
1978年、このダイヤモンドも、
二人の離婚後に競売にかけられ、
現在はサウジアラビアに渡っていると言われている。
別れて30年たったいまも、
テーラー・バートンという二人の名は永遠に寄り添い、
輝いている。