厚焼玉子 10年05月16日放送



世界一遅いマラソン記録  金栗四三

日本のマラソンの父と呼ばれた金栗四三(かなぐりしそう)は
日本人初のオリンピック選手として
1912年のストックホルム大会に出場した。

試合当日のコンディションは最悪だった。
船と列車の長い旅、白夜での寝不足。
マラソンの当日は迎えが来ず、
試合の前に競技場まで走る羽目になった。

さらにその日は摂氏40度を超える記録的な暑さで
参加選手は次々にリタイア。
金栗もレース半ばに日射病で倒れてしまうが
このとき、なぜか彼の棄権は連絡されず
「日本の金栗選手はレース中に失踪」と記録されてしまった。

それから55年
75歳になった金栗四三のところに一通の招待状が届いた。


 「スウェーデンのオリンピック記念式典で
 あのときのマラソンをゴールしませんか」

54年8ヶ月6日5時間32分20秒3という
世界一遅いマラソン記録はこうして生まれた。
1967年3月21日のことだった。
「長い道のりでした」と本人もスピーチしている。

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