翻訳のはなし 岸本佐知子
会社になじめなかったからという理由で、翻訳家になった女性がいる。
ミランダ・ジュライの『いちばんここに似合う人』や
ニコルソン・ベイカーの『中二階』など
英語圏の現代小説を数々訳してきた岸本佐知子のことだ。
岸本は、幼い頃から現実を受け入れることが苦手だった。
「どうして人は時間を守るのだろう」
「でたらめな方がいいのに、何故きちんとしようとするのだろう」
OLとして働き出してからも
社会の根本的なルールが理解できなかった岸本は、
やがてほとんどの仕事を取り上げられてしまう。
みんなと同じようにできない自分を申し訳なく思い、
他に居場所を探そうとたまたま辿り着いた場所
それが、翻訳学校だった。
それから三十年余り。今や日本の翻訳界を牽引する存在となった岸本は、
翻訳をつづける理由を次のように語っている。
自分がやっても人に迷惑がかからないと思える唯一のことが、翻訳なんです。
「生きててすみません」とさえ思っていたという岸本が、
はっきり言い切った言葉。
心から好きだと思えるものをやっと見つけた喜びに溢れていた。