aplari
ジャズな一日 ~A列車で行こう~
マンハッタン北部のハーレム街125番地に、
黒人ミュージシャンの聖地として知られるアポロ・シアターがある。
そこを通る列車の案内記号はA系統。
つまりA Train。
「You must take the A train.」
ジャズの名曲「A列車で行こう」
この曲の歌詞には、
「いい音楽を聴くなら、アポロ・シアターへ急げ!
という
黒人作詞家ビリー・ストレイホーンの
ジャズへのプライドが込められている。
きょうはジャズの日。
aplari
ジャズな一日 ~A列車で行こう~
マンハッタン北部のハーレム街125番地に、
黒人ミュージシャンの聖地として知られるアポロ・シアターがある。
そこを通る列車の案内記号はA系統。
つまりA Train。
「You must take the A train.」
ジャズの名曲「A列車で行こう」
この曲の歌詞には、
「いい音楽を聴くなら、アポロ・シアターへ急げ!
という
黒人作詞家ビリー・ストレイホーンの
ジャズへのプライドが込められている。
きょうはジャズの日。
x-ray delta one
ジャズな一日 ~音楽が死んだ日~
1985年8月12日。
日航機墜落事故で、坂本九は命を落とした。
彼が残した曲のひとつ、「上を向いて歩こう」
この曲の歌詞にある「ウォウウォオウ」という珍しいフレーズは、
あるジャズシンガーの影響を受けて生まれたものだ。
そのジャズシンガーとは、
黒人文化の象徴として知られるアポロシアターに、
はじめて白人としてステージに立ったことで知られる
バディ・ホリーだ。
バディといえば、
しゃくりあげるような裏声を用いて、独特のアクセントをつける
ヒーカップ唱法や軽快なビートが特徴だ。
奇しくも、バディ・ホリーも、
1959年2月3日に、飛行機事故で命を落としている。
坂本九、バディ・ホリー、
この二人が亡くなった日を、「音楽が死んだ日」として、
今でも多くの人が偲んでいるという。
きょうはジャズの日。
furanda
ジャズな一日 ~good job~
2015年に公開され、
世界中で話題になった映画のひとつに、
「セッション」がある。
名門音楽大学の伝説鬼教師のもとで奮闘する、
ジャズドラマー志望の若者を描いた作品だ。
鬼教師であるサッチャー教授の指導は
水膨れがつぶれ、手から血が流れたとしても、
演奏を続けさせるほどの厳しいものだった。
そんな彼は、作品の中で、こんなセリフを口にする。
「There are two words in the English language more harmful than good job.」
「英語には、人をだめにする言葉がある。それは、good jobだ。」
グッジョブと言われると、どこか人は安心してしまい、
成長を止めてしまう。
サッチャー教授は、そんな人間の弱さを見抜き、
自分の教え子を絶対に安心をさせない、という信念を貫くのだ。
きょうはジャズの日。
Robert Drózd
ジャズな一日 ~音楽の儚さ~
2011年に、
Jazz部門で日本人初のグラミー賞を受賞した上原ひろみ。
彼女の演奏といえば、即興演奏である。
楽譜にはない、そのときの直感での演奏は、
ときに自分でも、どう収拾をつけるのか分からなくなることがあり、
舞台上で困ったこともあるという。
しかし、そのリスクをとってまで、
彼女が即興演奏にこだわる理由について、彼女はこう語っている。
「同じ景色を2回見て、
1回目のときと同じくらい感動することって絶対にない。
今日を超える感動は同じ視点からは絶対にあり得ない。
だから、毎日違うルートを通りたいと思う。
上原ひろみが一番大切にしているもの、
それは、音楽の儚さだ。
きょうはジャズの日。
smkybear
ジャズな一日 ~これでも、いいんだ。~
美しい歌声が、幅広い年齢に愛されている
歌手のJUJU。
ヒップホップやハウスなども歌いこなす彼女が、
一番難しいけれど、一番好きと語るのがジャズだ。
彼女が、ジャズを好きな理由を、次のように述べている。
「ビリー・ストレイホーンのLush Lifeは、
恋に破れた、飲んだくれの男が描かれている。
複雑なメロディーと情緒不安定な歌詞なのにもかかわらず、
聴いていて、居心地がいい。」
だからこそ、聴く人の多くは、
「これがいい」とは思えないけれど、「これでも、いいんだ」と思えて、
なんだか楽な気分になれるのだ。」と。
そんなジャズの懐の深さが、
ジャズが多くの人に永く愛されている理由なのかもしれない。
きょうはジャズの日。
ジャズな一日 ~C`est la vie~
第二次世界大戦前から晩年89歳まで
現役で活躍しつづけた
フランスのジャズバイオリニスト、ステファン・グラッペリ。
彼が亡くなる2年前、87歳のときに、
日本で公演をしたときのことだ。
「どうしてあなたは悲しい曲でもどこか楽しげに弾くの?」と聞かれ、
彼はこう答えた。
「死にたいと思いつめるほどの失恋をしても、
時が経ち、歳を重ねるうちに、甘い思い出に変わるからだよ。
それが人生さ!C`est la vie!」
きょうはジャズの日。
チャールズ・モンロー・シュルツ ~誕生~
チャールズ・モンロー・シュルツは、
1922年、アメリカミネソタ州で生まれた。
チャールズは、小さい頃から、絵の才能に恵まれていた。
幼稚園の先生に言われた、
「あなたは画家になるかもしれないわ」というひと言を胸に、
絵を夢中で描き続けた。
彼は、勉強は得意だけれど、内気だった。
2学年飛び級をした小学校時代に、クラスメイトに仲間外れにされてしまう。
そのちょっぴり苦い経験が、ある主人公の誕生につながっている。
1950年、彼は心の悩みや葛藤を子どもたちがどう乗り越えるかをテーマに、
ひとつのコミック作品を書きはじめる。
主人公の名は、チャーリーブラウン。
彼と彼の飼い犬スヌーピーが繰り広げる、
人気コミック「ピーナッツ」はこうしてはじまった。
チャールズ・モンロー・シュルツ ~一匹の変わった飼い犬~
代表作「ピーナッツ」で知られる漫画家、
チャールズ・モンロー・シュルツ。
彼は13歳のとき、一匹の犬を飼い始める。
「スパイク」と名付けた、その一匹の犬は、
まるで人間の言葉を理解しているかのような行動をしたり、
画鋲やかみそりを食べてしまったり…。
とにかく変わった犬であった。
この「スパイク」を描いた漫画が、新聞に掲載され、連載がはじまった。
その漫画のタイトルは「リル・フォークス」
そう、この「スパイク」という一匹の犬こそ、
あの人間より人間くさい犬「スヌーピー」のモデルなのだ。
lethaargic
チャールズ・モンロー・シュルツ ~Good grief~
「Good grief」
チャールズ・モンロー・シュルツ作の
人気漫画「ピーナッツ」に登場するチャーリーブラウンやライナスなどの
子どもたちが度々言うセリフである。
彼の描く「ピーナッツ」では、
子どもの「もう、だめだ」「できないよ」といった
心の悩みや葛藤を多く描いている。
彼らは強がることなく、
野球の試合でミスをしたとき、
勉強ができないとき、好きな女の子にフラれちゃったとき
大きな声で「Good grief!」と嘆く。
この「Good grief!」をどう訳すか。
直訳だと「うれしい悲しみ」という意味だが、
最初に翻訳を手がけた谷川俊太郎はこう訳した。
「やれやれ。」
後向きなような、前向きなような。
乗り越えようとしているような、いないような。
「やれやれ」には、子どもたちのリアルな気持ちが込められている。
x-ray delta one
チャールズ・モンロー・シュルツ ~名言の裏に隠された事実~
人気キャラクター「スヌーピー」で知られる
チャールズ・モンロー・シュルツの「ピーナッツ」。
1950年から2000年までの50年間で
1万7897回にわたり、連載された。
しかし、最初から、順風満帆だったわけではない。
あまり経済的に豊かではない家庭であったのにもかかわらず、
自分を高額な美術学校に通わせてくれた両親。
その両親に、はやく恩返しをしたい。
そんな一心で、自分が描いた漫画を雑誌社に持っていくものの、
時代は第二次世界大戦。まったく受け入れてもらえなかった。
しかし、彼は決して諦めなかった。
彼が描く「ピーナッツ」の中で、チャーリー・ブラウンが
「いつの日か願いが叶うといいなあ」とぼやいたときに、
スヌーピーはこう答えている。
「そうなるように生きていかないとね」。
チャールズの人生そのままのコトバだ。
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