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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-01
wonderwonderword
沖縄 × 岡本太郎

「太陽の塔」を作った芸術家、岡本太郎。
彼が沖縄の文化に強く惹かれていたことをご存知だろうか。

太郎は米軍占領下の沖縄を訪れた。
歩いて、見て、食べて、その結果たどり着いた結論は、
「何もない」ことの美しさ、だった。

過度に装飾された美しさ、意識された美しさではなくて、
生活の必要から生まれ、必然の中から浮かび上がる美しさ。
沖縄には、日本が失ってしまった「何もない」美しさが残っている。
太郎はそう考えた。

太郎らしい、沖縄へのまなざし。
その理由を、太郎はこう記している。

 それは私にとって、一つの恋のようなものだった

と。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-02

タヒチ × ポール・ゴーギャン

フランス後期印象派の巨匠、ポール・ゴーギャン。

パリの文明社会に疲れた彼は、南太平洋のタヒチに渡り、
原始の自然とそこで暮らす人間を描いた。

タヒチを「美と自由の国」と称賛したゴーギャンだったが、
現地での生活はそのイメージ通りにはいかず、苦しいものだった。
最愛の娘を亡くし、徐々に健康状態も悪化していったが、
それでも彼は、島から離れることはしなかった。
「最後の楽園」を求めて島を転々とし、
タヒチから1500キロ離れた小さな島で、誰にも看取られることなく、
54歳でその生涯を終えた。

最後に手掛けた大作のタイトルが、あの有名な一説である。

 われわれはどこからきたのか
 われわれはなにものか
 われわれはどこへいくのか

ゴーギャンの魂は、いまだ楽園を探しているのかもしれない。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-03

ハワイ × ウラジミール・オシポフ

ハワイで最も重要な現代建築家といわれる
ウラジミール・オシポフ。

彼の有名な作品のひとつが、
1952年に建てられた邸宅「リジェストランドハウス」。
ホノルル市街を見下ろす小高い丘のうえ、
緑の木立の中にひっそりと佇むこの家を訪れるのは、
まさに極上の体験だ。

優しい日陰を作る大きなひさし。
外に向かって大きく開かれた窓からは、
ハワイの温かい風が心地よく入ってくる。
目の前には青い海とワイキキの街並み。
ダイヤモンドヘッドまでも遠く見渡せる。

ハワイの光と風を全身で感じられる家を作ったオシポフだが、
その名前からも察せられるように、ロシア・ウラジオストク生まれ。
極寒の国の才能は、南国で鮮やかに花開いたのだった。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-04
Anjali Kiggal
アイスランド × ビョーク

アイスランドの歌姫、ビョーク。
グラミー賞に14度もノミネートされた世界的なシンガーで、
世界一有名なアイスランド人と言っても過言ではない。

ビョークの魅力のひとつが、その圧倒的な歌声だ。
パワフルで、妖艶で、楽器のような声。
その人間離れしたスケール感は、アイスランドの大自然を彷彿とさせる。

この歌声は、どうやって生まれたのか?
ビョーク自身は、こう振り返っている。

 子供の頃、歩きながら歌っていたから、
 自然と声量が鍛えられたのかもしれないわね

まさに、アイスランドの大地が育んだ声なのだった。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-05

キーウェスト島 × ヘミングウェイ

作家、アーネスト・ヘミングウェイが「老人と海」を書いたのは、
アメリカ最南端の島、キーウェスト島だった。

彼は港町のひとびとののおおらかさと、
大物狙いの荒々しい釣りにのめりこみ、
1931年から9年間、この地で暮らしていた。

ヘミングウェイが住んでいた家が、いまも残っている。
家を守っているのは、たくさんの猫たち。
それもなんと、「6本指」の猫たちである。

ひとつ多い指を使って船のロープを軽々と掴む6本指の猫は、
キーウェストの船乗りから幸運のシンボルとして愛されていた。
ヘミングウェイも大の猫好きで、執筆の友として2匹の猫を譲り受け、
一緒に暮らしていた。

その子孫が、いまや大事な観光の人気者として大切に保護されている
6本指の「ヘミングウェイ・キャット」。
幸運のシンボルはいまも幸せそうに暮らしている。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-06

バリ島 × アントニオ・ブランコ

フィリピン・マニラ生まれの画家、アントニオ・ブランコ。
彼は、日本人にも人気の高いインドネシア・バリ島のウブドに移住し、
そこで生涯にわたって創作活動を続けた。

もともとは、ポール・ゴーギャンの影響でタヒチに心が惹かれていたが、
さまざまな事情でハワイ、日本、カンボジアと移り、
最終的にバリ舞踊のダンサーだったニ・ロンジ夫人との結婚を機に、
バリ島に移住した。
その後多くの賞を受賞する人気画家となったから、
島への移住が人生の転機となったことは間違いない。

ブランコは、その風貌や、
額縁までこだわって自作する独特の作風から、
「バリのダリ」と呼ばれた。
実は、この額縁へのこだわりは、日本で育まれたらしい。
バリに渡る前に、1年ほど横浜に住んでいて、
その頃に額縁職人と知り合い、技術を学んだそうだ。

バリのダリは、日本との縁で生まれていた。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-07
Thierry Chervel
マジョルカ島 × ジョアン・ミロ

スペイン人画家、ジョアン・ミロ。
彼は晩年を、地中海に浮かぶマジョルカ島で過ごした。

ミロは、マジョルカ島を「極めて美しい国」と呼んで愛した。
島の海の見える丘に広いアトリエを建てたときには63歳になっていたが、
創作意欲はさらに膨らんだ。
コラボレーションを好むようになり、
それまでにないパブリック・アートの大作を数多く残すことになった。
眩しい太陽とターコイズブルーの海に囲まれた、
美しいマジョルカ島の自然が彼を刺激したことは、想像に難くない。

かつて、イギリス・ロンドンでミロのアトリエが再現されたことがある。
そのとき、メディアはこう報じた。

 ミロのアトリエが、ロンドンで細部に至るまで再現されている。
 ただひとつ、マジョルカ島の輝く太陽以外は。

と。

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四宮拓真 17年8月20日放送

170820-08
Adheesha88
セイロン島 × ジェフリー・バワ

スリランカを代表する建築家、ジェフリー・バワ。
故郷であるセイロン島の自然の特性を最大限に引き出した建築で知られ、
「熱帯建築」の第一人者と呼ばれる。

なかでも、ホテル建築は特に有名だ。
「ヘリタンス・カンダラマホテル」は、
蔦に覆われた外観や、剥き出しの岩を利用した廊下など、
自然と建築の融合が実現されていて、まさに熱帯建築。
バワ自身が、

 やがてこのホテルは木々に覆われ、自然に還るだろう

とまで言うほどだ。

「熱帯建築の神様」とまで言われたバワだが
実は、キャリアを始めたのは38歳とやや遅め。
弁護士だったバワが建築に目覚めたのは、
世界放浪のなかでイタリアを訪れたときだった。
そこから勉強を始めて、故郷のセイロン島で、
理想の建築の追求を生涯の仕事に定めたのだった。」

アラフォーからでも、神様になれるのだ。

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四宮拓真 17年5月21日放送

170521-01
Joe Shlabotnik
相田みつを トイレ

「にんげんだもの」などの作品で知られる書家・詩人、相田みつを。

彼の作品には、なぜか、トイレでよく出会う。
飲食店のトイレの壁にかけられた日めくりカレンダーを
見たことがある人は多いのではないだろうか。

実は、彼の作品が初めて飾られたのも、喫茶店のトイレだった。
周囲の人々は「いくらなんでもトイレは屈辱的だ」と眉を顰め、
店の主人に、作品を外してもらうよう主張した。

しかし、みつをは、毅然としてこう言った。

 トイレは禅僧のように自分の内面と向き合える修行の場所。
 わたしの字は、そんな場所にこそふさわしい。

トイレこそ、自分の書が最も輝ける場。
そんな思いで書かれたからこそ、
トイレで出会う彼の作品は、妙に気になるのだ。

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四宮拓真 17年5月21日放送

170521-02
ひでわく
相田みつを 切り抜き

「にんげんだもの」などで知られる書家・詩人、相田みつを。

彼の作品は、カレンダーや色紙など手頃なサイズで出会うことが多いが、
実は、原本はとても大きい。
フレームがあると萎縮してしまうと言って、
いつも額縁の倍以上の大きさの紙に書き、
それを丁寧に切り抜いていたのだ。

その切り抜き作業に、みつをはものすごくこだわった。
定規を使って、ミリ単位の余白の調整を繰り返す。
納得がいってからようやく額縁に入れる。
ひとつの作品に、切り抜きだけで2日間費やすこともあったという。
周囲の人々は驚いたが、
みつをは「余白も含めて作品である」と譲らなかった。

見えない部分への、尋常ならざるこだわり。
みつをは、こう話している。

 なかなか工夫をこらしているなあ、なんてことが
 見る人にわかってしまうようでは、本物の書とはいえない。
 子どもが書いたような字だが、読んだら感動した、というほうがいい。

と。

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