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廣瀬大 15年10月11日放送

151011-05
Esthr
ウディ・アレンに関するいくつかのこと。

ある撮影が長引くと、彼は自分の腕時計を見ながら、
「さあ、さっさと撮影を終わらせよう。
もうすぐニューヨーク・ジャイアンツのナイターが始まってしまう」

と言ったという。

80歳近くになっても
年に一本のペースで新作を公開し続けている
映画監督のウディ・アレン。

彼の撮影は非常に速い。
また演出はほとんど指示を出さず、役者に任せることで有名だ。
「撮影が速いのは、同じことを何度もやると飽きるから。
僕にそんな辛抱強さはない」彼は飄々と語る。

「演出に関しては、演技力がある素晴らしい役者たちを
キャスティングしているんだ。
僕の仕事は彼らの邪魔をしないこと。任せるんだ」と彼は言う。
この独自の撮影と演出により、
これまで彼の映画からは多くのオスカー俳優が誕生している。

ウディ・アレン作品の出演料は、
ベテランであろうと、新人であろうと
全米映画俳優組合が決めた最低料金しか支払われないという。

それでも、彼の映画に出演したがる俳優は後を絶たない。

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廣瀬大 15年10月11日放送

151011-06
Chris Boland
ウディ・アレンに関するいくつかのこと。

映画監督ウディ・アレンの作品の多くは
彼が長年暮らすニューヨークが舞台だ。
そして、その映画にはよく心地よいジャズが流れている。

彼は映画監督でありながら
ニューオリンズ・ジャズ・バンドの
クラリネット奏者という顔も持つ。
ジャズバンドを率いて、
ヨーロッパツアーも行った。

彼の作品「アニー・ホール」がアカデミー賞を受賞した際、
ウディ・アレンは授賞式を欠席。
理由はその日、ニューヨークのクラブで
ジャズバンドのライブに出演するから。

彼は華やかな授賞式を蹴り、
地元ニューヨークの
酒と煙草の匂いが立ち込める薄暗いナイトクラブで
子どもの頃から夢中になっている古いジャズを
仲間達と演奏していたのだ。

それから数十年、
彼は仕事でニューヨークを離れるとき以外、
今でも毎週月曜日に、お気に入りのクラブで
クラリネットの演奏を続けている。

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廣瀬大 15年10月11日放送

151011-07

ウディ・アレンに関するいくつかのこと。

映画監督ウディ・アレンが
脚本を執筆するのに愛用しているのは
西ドイツ製の「オリンピア・ポータブル」という
古いタイプライターだ。
16歳のとき、40ドルで購入したという。

アイデアを書き殴ったノートの切れ端や
メモをファイルにとっておき、
引き出しに放り込んでおく。
そして、それが溜まると、
彼はその古い愛用のタイプライターに向かい
脚本の執筆を始める。

16歳のウディ・アレン少年はこのタイプライターを買うときに、
販売員の店主にどのくらいこれは丈夫かと訊ねたという。
「少なくとも、あんたが死ぬまでは壊れないだろうね」

その店員の答えを聞き、彼は購入を決めた。

あの日から60年以上が過ぎた今でも、
彼はこのタイプライターで
脚本を書き続けている。

こだわりを持って生きると
自然と愛用品ができるものだ。

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廣瀬大 15年10月11日放送

151011-08
abby chicken photography
ウディ・アレンに関するいくつかのこと。

映画監督ウディ・アレンの映画に登場する
主人公たちは常に人生に対する不安に
さいなまれている。

「宇宙が膨張して破裂したらすべておしまい!」
「アニー・ホール」など多くの作品で
繰り返される悲観的なセリフ。

人生はひどいことばかりで、不条理の連続。
かつ無意味で、ほとんどが運次第である。
そんなニヒリスティックな人生観が
彼の映画の根底には流れている。

決して消えることのない不安を抱えたまま
それでも彼の作品に登場する主人公たちは
立ち直り、生きていく。

不思議と映画を観たあと、
観客は前向きな気持ちになっていることに気づく。

彼の主人公たちを救うのは
不断の努力でも、強い意志でもなく、
ましてや冒険へと旅立つ勇気と行動力などでもない。
魅力的な女性への恋と愛と、
そしてほんの少しのユーモアである。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-05
Clint Koehler
物語を愛した河合隼雄

「人間」そしてその「こころ」に興味を持ち、
優しい眼差しで人々の「こころ」の研究を続けた
心理学者・河合隼雄。

日本におけるユング派心理学の第一人者である彼は
夢の分析により人の「こころ」を恢復する手法や、
箱庭療法を日本に紹介した。

夢分析も箱庭療法も
その人の「こころ」の奥底に眠る
物語を発見し読み解くことからはじまる。

彼は幼いころから物語が大好きだった。
また、同時に数学が大好きな理論派でもあった。

当時学校で教わるのは
軍国主義の影響下にある日本神話など。
軍隊が嫌いだった彼は、
物語のおもしろさに気づきつつも、
それを認めたくない。
そんな複雑な気持ちを持っていたという。

「なに言うとるんや、あほな」という
軍国主義に対する気持ちと
夢中になって読み漁っている物語に対する愛情が、
隼雄少年にこんなことを言わせている。

「人間の先祖が猿やったら、
進化論的にいうと、アマテラスは
いちばん猿に近かったのと違うか」

自分の見た夢を忘れてしまうように、
この発言を河合隼雄は覚えていないという。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-06

物語を愛した河合隼雄

心理学者・河合隼雄のいちばん最初の記憶は
弟が兵隊ごっこをしている姿だという。

「トッカーン、トッカーン!」と突撃の喊声を上げる弟。
弟の年齢はおそらく3歳ぐらい。

記憶が鮮明なのは、その弟がそのあと、すぐに亡くなったからだ。

「捨てたらあかん、捨てるな」、
そう言って泣きながら弟の出棺を止めた。

「その泣いている思い出を、
ほんとうは覚えていないのです。
しかし、母親がよくその話をしたから
なんかやっていたような気がするんですね。
それはぼくにとってすごく大事な思い出になっています」

と後年、彼は優しく語った。

その現実と想像の間にある思い出は
彼の人生を支える大切な物語である。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-07
Icely88
物語を愛した河合隼雄

心理学者・河合隼雄は言う。

心の病をかかえる患者さんが
治っていった話をそのまま書いたら、
都合のええ偶然が起こりすぎて
小説にならない。

でも、僕の患者さんが治っていくときには
奇跡のようなことがよく起きる。
こんなおもろいことないですよ。

世界は小説より
圧倒的に、都合がいい物語で
できているようだ。

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廣瀬大 15年7月12日放送

150712-08
Aureusbay
物語を愛した河合隼雄

心理学者・河合隼雄は、幼いころ、
ほかの子どもと行動するのが嫌で
幼稚園が嫌いだった。

でも担当の先生を大好きになり、
幼稚園に行くのが楽しみになった

しかし、ある日、
その先生は結婚し、
幼稚園を辞めてしまう。
大好きな先生のお別れのあいさつで
隼雄少年はかっこわるいと思いながらも涙が止まらない。

自己嫌悪に陥り、家に帰ってから、
母親の前であまり悲しそうな顔をしないでいたら、母親は言った。
「ほんとうに悲しいときは、男の子でも泣いてかまわない」
それでまた彼は泣いてしまった。

そのあと、遊びに来た同級生の男の子。
「今日は男の子でも泣いてるもんがいた」と冷やかすと
「ほんまに悲しいときは泣くやつのほうが偉いよ」と言い返した。

彼は幼いころから、自然と暮らしの中で
「こころ」との向き合い方を学んでいた。

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