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長谷川智子 19年10月19日放送


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蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)

「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」
二十四節気を五日に分ける七十二侯で、
今日は、秋の虫が戸口で鳴くころ。

古くは、コオロギをキリギリスと呼んだので、
戸口に訪れるのもコオロギ、であろう。

鳴くのは雄。
一匹のときは、「コロコロ」と声を響かせて仲間を呼ぶ。
「チチチ」と短いのは、雄を威嚇する声。
そして、雌への求愛は、低くささやくように。

虫たちの、短い恋の季節である。

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長谷川智子 19年10月19日放送


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ツヅレサセコオロギ

秋の夜長
リッ、リッ、リッ、リッと鳴くのは
ツヅレサセコオロギ。

つづれは傷んだ着物、刺すは縫う、という意味。
昔の人は、このせわしない声を
「肩させ、裾させ、つづらさせ」と聞きなした。
ほつれた着物を早く縫って冬支度をしろ。
と、せかされる気分だったのだろう。

今よりも、人の暮らしと自然のうつろいは、
ずっと近かった。

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長谷川智子 19年10月19日放送



アリとキリギリス

イソップ物語、アリとキリギリス。
結末には2種類あるが
キリギリスがアリに食べ物をもらえず死んでしまう、というパターン。

「夏は歌っていたのだから、冬は踊れば?」
キリギリスの頼みを断るアリの一言。
まじめなアリにしては、嫌味も効いてユーモアがある。

キリギリスも黙って死んだりはしない。
「歌うべき歌はすべて歌った。
君は僕の亡骸を食べて生き延びればいいよ」

まさに、一寸の虫にも五分の魂。
両者、自分の生き方に自負がある。

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長谷川智子 19年10月19日放送


Citron
太宰治きりぎりす

太宰治の短編「きりぎりす」。

貧乏画家だった夫が、
成功し金と名声にまみれる俗人になったのに嫌気がさし、
離婚を切り出す妻。

物語は、
妻が、布団の中で虫の音を聞きつつ終わる。

「この小さい、幽かな声を一生忘れずに背骨にしまって生きていこう」

きりぎりすの澄んだ声に
背筋をただし、俗世と決別するという一般的な解釈だが。

一人寝の夜のきりぎりすの声は
これからの人生の寂しさを示すようでもある。
秋の一夜の物語。

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長谷川智子 19年10月19日放送


風の花
虫の音と気温

暦の上では、秋の虫が戸口で鳴くころ。

虫が鳴く気温は、30度~15度の間らしい。
暑さがおさまるころ、夜、鳴きはじめ、
秋が深まるにつれ、昼間に鳴くようになる。
まさに、季節のバロメーター。

ところで、日本の平均気温は、
100年あたり約1.2度の割合で上昇している。
暦と季節のずれを感じるのも、無理はない。

漫画家水木しげるは言う。
「虫とか草とかが吐くことばは、地球のことばなんです」

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長谷川智子 19年8月17日放送



里帰り

去年の今日、
首都圏へ向かう高速道路は大渋滞だった。
お盆に帰省した人たちのUターンラッシュだ。

ところで、「お盆に里帰り」という言葉を
よく聞くようになった。
もともと「里帰り」は
もとは、女性が結婚後はじめて実家に帰ることをさした言葉だが、
近ごろではお盆や年末年始の帰省も
里帰りと呼ぶらしい。

今年は帰省した人の12%が
今日のUターンを予定しているそうだ。

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長谷川智子 19年8月17日放送



伊藤若冲の里帰り

「30年が一日のように過ぎた」
江戸時代の絵師、伊藤若冲はその後半生を絵にささげた。

若冲は絵師になりたいがために
40歳で家督を弟に譲ってしまった。
死後の供養のことまで算段しているのを見ると
実家との交わりは薄かったのかもしれない。

世界でも高く評価される伊藤若冲。
海外に渡った作品のうち90点あまりが、
この秋、日本(の出光美術館)に里帰りする。

しかし。若冲のふるさとは、
絵の中にこそあるのかもしれない。

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長谷川智子 19年8月17日放送



大黒屋光太夫の里帰り

「優曇華(うどんげ)の花」
3000年に一度咲くという伝説の花。

この花にたとえられるほど、困難な里帰りがあった。

江戸末、伊勢から船出した大黒屋光太夫一行は、
嵐のためロシアへ流れつく。
帰国願いが女王エカテリーナ2世に認められ、
やっと北海道まで帰ってくるまでが10年。
無事に帰国できたのは16人中わずか3人だった。

まさに優曇華の花。

光太夫がふるさと伊勢に里帰りするまで、
さらに10年の月日を要する。

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長谷川智子 19年8月17日放送



江戸の子守歌

「江戸の子守歌」は
今から約250年前、江戸の町で歌われはじめた。
作詞、作曲は不明。

「坊やのお守りは どこへいった
  あの山超えて 里へ行った」

お盆の薮入りの日なのだろうか、
子守の娘を里に返し
母親みずから子供を寝かしつける様子がうかがえる。

この歌はテレビもネットもないこの時代に、
日本初の流行歌となって日本中にひろまった。

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長谷川智子 19年8月17日放送



峠の我が家

「峠の我が家」のメロディを聴いて
私たちが思い描くのは
小さな家が建つ山間のふるさと。

しかし、この歌のふるさとはアメリカ・カンザス州。
空晴れわたる大地に、
バッファローやシカがたわむれる大平原が歌われ
山や峠は全くない。

Home, home on the range
Where the deer and the antelope play

ふるさとを思う心は同じでも、目に浮かぶ景色はそれぞれ。

作詞家中山知子が「峠のわが家」と訳したことで、
日本人のふるさとの歌になった。

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