小野田隆雄 2007年9月14日



星 空

       
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳

ぼくがお父さんの家で、
小さな羊飼いだったころ、
ぼくは羊の番をするよりほかに
何も知らなかった。
ある日、狼が不意に来て、
いちばんきれいな小羊をころした。
けれど、ぼくの犬がそれを奪り戻し
ぼくはその皮と骨を、
しまっておいた。

雨風を防ぐため
ぼくはその皮で外套をこしらえ、
小さな尻尾を
帽子の羽かざりにした。

そして、小羊の背骨で
ぼくは一本の笛をこしらえた。
その音に合せて、美しいひとたちよ、
楡の木陰で踊れ。

この古いフランスの童謡を、母が、
女子高二年生の私に話してくれたのは、
多摩川沿いの丘に続く公園の、
桜並木だった。秋の夕暮れで、
暗く流れる川の、はるか高い空に、
西に傾く形で、白鳥座の星が、
大きく見えた。

話を聞きながら、私は
笛の音に合せて踊る、白い長袖の
ワンピースの少女たちを思い浮べた。
彼女たちは、満天の星空の下で、
豊かに実るぶどうの房を、
枝にからませた楡の木の下で、
輪になり、手をつなぎ、踊っている・・・・・

昔、ローマやプロヴァンス地方では
ぶどうを栽培するとき、
そのつるを、楡の木にからませることが
多かったと、父が言っていたのを、
そのとき、私は思いだしていた。

あの日、母と私は、
田園調布の古いレストランで
夕食をとった。
母は、ぶどう酒を飲み、
私も、ほんのすこし、唇を濡らした。
あの日の夜は、
フランスに旅立つ母を送る、前日の夜だった。

母と、私が小学六年生の時に
亡くなった父は、
ある私立大学の、フランス文学部の
助教授だった。そして、母が再婚する
ことになった、マルセイユ生れの
フランス人も、同じ大学の講師だった。
私にもやさしい、小柄なフランス人だった。
母と、その男性は恋をした。
男がフランスに帰ることになり、
母も同行することになった。
私は東京に残り、叔母の家で生活する。
高校を卒業したら、フランスに行く。
母と私は、そういう約束をした。

けれど、私は、結局、日本で大学を卒業し、
甲府盆地の、食品会社に就職した。
ぶどう畑の中の道を、
モーターバイクで通勤する日が続いた。
何年かたった、ある秋の夕暮、
星空の美しさに、思わず、バイクを止めた。
ぶどう畑から見あげると、白鳥座が
あのときの空のように、
西に傾きながら、空いっぱいに
飛んでいた。

「ひとが死んだら、星になるんだよ。
だから、おまえを、いつまでも、
父さんは、見つめているよ」
病の床で、死んでいく数日前に、
父が私に言った言葉。
その言葉を、星を見ながら、
ぶどう畑の中で、噛みしめているうちに、
私は思った。
来年の春になったら、
フランスに行こう、と。

*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー


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