ひなげし公園にて
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
それは、五月のことでした。
公園の日曜日は
ひなげしの中に
うづまっていました。
ときおり、
花びらが散りましたが、
高く舞いあがっていく、
すこし小さい花びらは、
それは、やはり、蝶々でした。
見あげると、あちらこちらに
けやきの木があって、
風が、その若葉の茂みに、
勝手に自分の通り道をつくり、
その中を、サラサラと走って、
青く晴れた空に
帰っていくのでした。
時が水のように流れていきます。
子供たちは、アイスクリームを食べて、
なかには、ノースリーブの
ワンピースの少女もいました。
風車(かざぐるま)を売るおじさんの自転車は、
いつものように、公園のすみに。
編物をするおばあさんは、
中央のベンチに。
そして、若者がひとり
花壇の前のベンチに、
ぼんやりと、もう
二時間もすわっています。
若者は、今年、大学生になりました。
昨夜、友人のちいさな部屋に
五人で雑魚寝をしました。
男子、さんにん、女子、ふたり。
安いお酒を飲み、歌をうたい、
楽しく騒いだあとでした。
それは今朝の
明け方に近い時刻でした。
窓の外で雀が鳴き、
彼が眼をあけたとき、
彼を見つめている視線がありました。
彼女の視線は、何かを
耐えているように、動かずに
彼をみつめていました。
ほかのひとびとは、
軽い寝息をたてています。
せまいアパートの畳の上、
彼が手をのばすと
同じように彼女の手ものびて、
ふたりの、のばしきった指が、
二、三本、触れることが出来ました。
畳のひんやりする感触の上で、
ふたりの指は熱く、
部屋のすみで、コチコチ鳴る
目覚まし時計の音が、
触れあっている指と指の、
ふたりのドキドキする脈搏と
重なっていく。けれど、
けれど、声を出すことも、
体を動かす余地も、
ふたりの置かれた関係では、
なすすべは、ありません。
その時、誰かが、
あっ、いま何時だろ、と言いました。
ふたりは、もういちど見つめあい、
指をからませたあと、
視線も指も離れていきました。
ゆっくりと、
行きすぎる舟のように。
もう、出会うこともないように。
たった、それだけのことでした。
でも、指が離れていくとき、
「今日の午後、
ひなげし公園で…」
彼女のささやきを、
彼は聞いたかと思いました。
いいえ、聞きたかっただけ、
だったのかも知れません。
公園のチャイムが
五時をつげました。
今朝(けさ)のことを、
僕はいつまで、おぼえているだろうか。
と、若者は思いました。
五月が終れば、
木々の若葉は、重い緑になるのでしょう。
*出演者情報:久世星佳 03-5423-5905 シスカンパニー