できることのなかでいちばんよいことをする
ストーリー 一倉宏
出演 水下きよし
あれは 雨の降る日曜日だった
私は 妻とスーパーマーケットから帰ってクルマを降り
傘を開き 荷物を下ろしたその直後…
彼女が威勢よく閉めたドアに 指をはさまれ
悲鳴をあげた
その夜 私の右手中指は 一晩中泣いていた
私もまた 怒りながら笑いながら 泣いていた
翌朝 病院に駆け込み事情を話すと
医者も 同情と微笑みを浮かべながら 私に訊いた
「それで 昨夜は どうされましたか?」
「とにかく とりあえず グラスに詰めた氷で冷やしました」
と答えると 医者は うなづきながらカルテを書きながら
「そうですか それは…
できることのなかでいちばんいいこと を
されましたね」と 言ったのだった
そうか…
痛みに耐えられず ほかにどうしようもなく
ロックグラスに氷をいっぱいに詰めて 泣く指を冷やした
あれは できることのなかでいちばんいいこと だったのか
できることのなかでいちばんよいことをする
それから私はときどき この経験を思い出すのだ
しんみりと 雨の降る日と
こころの 泣きたい夜には…
上司が ただ
威厳を示したかったのか 機嫌がわるかったのか
誰も幸せにしない 思いつきを口にしたとき
あるいは
取引先の担当課長が 週末を費やしたプレゼンテーションに
「こんなところですか 検討しますよ…」と
資料を流し見て 立ち上がったとき
「ごくろうさま」のひとこともない 上司に
「ありがとう」のひとことも言えない 取引相手に
情けなくて 悔しくて
こころの 泣きたい夜と
しんみりと 雨の降る日には…
左手にカバンを持ち 右手に傘を差して
あのときの痛みを思い出してみる
そうだ それでも
できることのなかでいちばんよいことをしよう
左手に情けなさを持ち 右手に悔しさを握りしめて
繰り返し 思い出してみる
だけど それでも
できることのなかでいちばんよいことをするんだ
絶対に 私は