中山佐知子 2008年7月25日



乗り遅れた左手は
                 
                
ストーリー 中山佐知子                    
出演 大川泰樹

                   
乗り遅れた左手はもう僕の手ではない。
差し出したのに繋いでもらえなかった手
振り払われてしまった左手は
もう僕のものではない。

さっきまで笑っていた左手は
生命線をまっぷたつにする傷口が開いている。
僕の心臓がドクンと打つたびに
ポタンと赤い血が流れ出す。

おまえはもう僕の左手ではないのに
どうして僕の血が流れるのだろう。
どうしてまだ
僕の心臓とつながっているのだろう。

おまえが僕の心臓を掴んでいるせいで
僕の目からも水がにじみでているが
どうして僕の目と
僕のものではない左手がつながっているのだろう。

乗り遅れた左手はもう僕の手ではない。
振り払われた手はもう僕のものではない。
僕は左手がなにをしたか気づいてもいなかった。

みんなおまえのせいだ、と
僕は左手に言う。
おまえは考える前に走り出す。
おまえは疑う前に信じてしまう。
犬のように追い払われ
やすやすと置き去りにされる。

僕のものではなくなったおまえは
捨ててもいい。
おまえのいない不自由さより
おまえのいない平安を選びたい。

朝になって
二本の線路も枕木も、
枕木を埋める無数の小石も高原の霧の底に沈むとき
僕の左手も沈んでいくだろう。

本当に早くそうなればいい。
そう願いながら僕は駅から遠ざかろうとする。

けれども僕の心臓はまだ左手とつながっている。
僕の目は僕のものでない左手と一緒に泣いている。
僕の足は勝手にまわれ右をし
いったん背を向けた駅へ向って走りだす。
そして、僕の右手は
僕のうっかりものの左手を
差し出して振り払われた左手を
僕の愚かさ、僕の無邪気、
いつも血を流して泣いている僕の油断を抱きしめる。

出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP


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