みちくさ、ものがたり
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
十年ほど昔のことである。
四月の初めに、京都で、
お芝居の仕事が終って、
ある日の午後、
嵐山に近いあたりを散歩した。
人力車が誘いかけてくる
渡月橋の付近は避けて
静かなお屋敷町を歩いた。
すこし汗ばむほどによい天気だった。
曲がりくねって、生垣が両側に続く道を、
ぶらりぶらりとゆくと、
一軒の喫茶店に出会った。
古びた木の板の看板(かんばん)に、
かざりけのない、ひらがなで
「みちくさ」と書いてある。
その玄関先の、小さなお花畑に、
白い、目立たない花が咲いている。
「タンポポに似ているけれど、
白いタンポポって、あったかしら?」
そう思いつつ、私は「みちくさ」の
ドアを押した。ちょっと、
コーヒーブレイクも欲しかったし。
中は、七、八人ほどかけられるカウンター。
ちょうど、お客さまは誰もいなくて。
カウンターの奥に、五十歳前後の、
抑えたウグイス色の和服を着た、
美しい女性が立っている。
女優の藤村志保さんと似ていると思った。
いらっしゃいませ、和服のママさんが
きれいな東京弁で、ほほえんで言った。
私は、コーヒーを注文するまえに
玄関先の白い花について聞いてしまった。
ママさんが、すぐに答えてくれた。
「シロバナタンポポ、というんですよ。
昔から、日本にあったタンポポです。
でも、この頃はアメリカうまれの
黄色いタンポポに押されてしまって、
だんだん少なくなっています。
わたし、すこし、同情しているの。
あっ、そうそう、あなた、
なぜ、タンポポをタンポポっていうか
ご存知?」
そういって、すぐに、あわてながら、
和服のママは言いなおした。
「あっ、そうそう、あなた、ご注文は?」
私は、ハワイのコナを注文した。
注文しながら、私は、なんだか自分が
京都の映画スタヂオの、
セットにいるような気分になってきた。
私と和服のママが、喫茶店で出会うシーンを
撮影しているのである。
そして私は、ママに聞く役である。
「なぜ、東京を捨てたの?」……
けれど、現実には、ママは、
私から離れると、カウンターの奥で
ゆっくり、ゆっくり、
コーヒーを入れ始めた。そして、
よく透る声で、話し始めた。
「鼓って、楽器があるでしょう?
あの鼓の、手で打つ丸い革張りの部分、
あの丸い形がね、
タンポポの花の形と似ているって、
昔、京都の子供たちが
思ったのですって。
鼓をタンと打つと、ポポンと鳴る。
そうや、この花、タンポポや。
それから、タンポポはタンポポに
なったのだそうですよ。
すてきな、オトギバナシでしょう?
でも、わたくしは、信じています」
ハワイのコナは、おいしかった。
なんだか、春の昼さがりに、
オトギバナシに出会ったような。……
あのときから、数年たって、
やはり、京都を訪れたとき、ふたたび、
「みちくさ」を訪ねてみた。
けれど、「たしか、このあたり」と、
思った場所は、空地(あきち)になっていて
黄色いタンポポの花が、一面に咲き、
春の光を、ぼんやりと吸っていた。