波
ストーリー 小野田隆雄
出演 久世星佳
「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。
陽の照らないこの入江(いりえ)に。
波はよせ。
波はかへし。」
私は三十年前、十九歳のときに、
ヨシノリを、タエコから奪い取った。
タエコの母が亡くなって
九州の実家に帰っているとき、
ふたりが同棲している
アパートの部屋で
私はヨシノリをタエコから奪い取った。
東京に戻ってきたタエコは
涙ひとつ見せずに出ていった。
けれど、ひとこと、私にいった。
「トモコ、おまえ、バカだね」
ヨシノリは大田区役所につとめ、
売れない詩を書いていた。二十五歳だった。
タエコは大森駅前のバーで働いていた。
あの頃、三十歳くらいだった。
私は、あの頃も、いまも、
大井競馬場の、馬券売り場で働いている。
「波はよせ。
波はかへし。
下駄(げた)や藁屑(わらくず)や。
油のすぢ。
波は古びた石垣をなめ。
波はよせ。
波はかへし。」
草野心平の、「窓」という題名の詩が
原稿用紙に万年筆で書かれて、
ヨシノリのアパートの北側の壁に
貼りつけてあった。
「波はよせ。波はかへし。」
私とヨシノリは一年ほど続いたが、
そのうち彼は、鮫洲の居酒屋の女と
暮し始めて、帰ってこなくなった。
私は十日ほど、「窓」という詩と、
にらめっこをしていたが、
その詩を壁からはがし取って、
そのアパートを出た。
それから数年が過ぎた。
馬券売り場で、ひとりの男が
私を好きになった。すこし交際して
結婚した。まじめな男だった。
京浜急行の青物(あおもの)横丁(よこちょう)の駅員だった。
きちんと結婚式もあげた。
けれど、六、七年すぎた頃、
彼の職場が、横浜の黄金(こがね)町(ちょう)の駅に変り、
一月(ひとつき)もしないうちに、
チンピラのケンカを止めようとして、
ナイフに刺されて、死んでしまった。
「波はよせ。
波はかへし。
波は涯(はて)知らぬ外海(そとうみ)にもどり。
雪や。
霙(みぞれ)や。
晴天や。
億(おく)萬(まん)の年をつかれもなく。
波はよせ。
波はかへし。」
私は、いつもひとりだった。
羽田空港に近い、
穴(あな)守(もり)稲荷(いなり)のある町で生れ育ち、
ひとりっこだった。父と母は、
小さな町工場(まちこうば)で、朝から晩(ばん)まで
働いていた。
私が高校に入る頃に父が死に、
高校を卒業する頃に母が死んだ。
私たちの家は、小さなマンションの
十一階にあり、
南の窓から海が見えた。
沖のほうから、白い波が走ってきて
消えていく。そして、また、走ってくる。
父は工場で事故で死に、
母は高血圧で死んだ。
どちらのときも、私は海を見つめた。
聞えるはずのない、波の音を聞いていた。
波はよみがえる。ひとは死ぬ。
私は、今日まで、しあわせだった。
さびしかったけど、しあわせだった。
きっと誰かが帰ってくる。
波が、帰ってくるように。
「波はよせ。
波はかへし。
波は古びた石垣をなめ。」
夜、週3日通うスポーツジムの帰りの車の中で偶然聴きました。
60歳になろうとする男ですが、この詩を聴きながら泣けました。
切なくて、悲しくて、嬉しくて、泣けました。
「波は寄せ、波はかえし・・・」というフレーズが私の荒んだ心を波のように揺らして、涙と共に温めてくれました。
ありがとうございます。
この詩を聴いて幸せになろうと思いました。
幸せにしようと、思いました。