生物の進化、などというと、
ちょっとかっこいいみたいだけど、
この理屈には、どうも納得できないところがある。
その生き物が、厳しい環境の中で生き抜くために、
自分が必要とするカタチに姿を変えていく。
もしくは、そういうふうに
たまたま対応できた種だけが生き残っていく。
それが進化というものだとすると、
ウサギの耳が長いことが納得いかない。
敵から身を守るため、
ちいさな物音も聞き漏らさないため。
そうあなたは言うかもしれないが、
だったらもっと、
聞こえやすいカタチにすりゃいいじゃないか。
あの耳は大きい、というより長い。
たとえばウサギが
ゾウのように大きな耳だったらどうだ。
そんなんじゃ、いざ敵が来たとき逃げられない。
だからウサギの耳は細長い。あなたはそう言うかもしれない。
だけどあの耳だって相当にじゃまじゃない?
だから私はこうじゃないかと思うのだ。
ウサギは耳を伸ばしたかった。
というか、ウサギのカラダの中にある思いが、
ずうっとずうっと空に向かって伸びていたから、
耳が伸びたんじゃないか。
聞きたい聞きたい聞きたい聞きたい。
そんな思いがウサギの耳を伸ばしたんじゃないだろうか。
誰だって心の中には思いがあって、
それは長い年月の間に
ずっとかわらずに外に向かって行く。
親から子にその思いが受け継がれていく。
ウサギはそういう思いが強い種族なんじゃないか。
だって寂しいと死んじゃうって言うじゃない。
たとえば、うなぎはなんであんなにヌルヌルしてるのか。
真っ黒くて、手足もなくて、
わざわざあんなにグロテスクになる必要ないじゃん、
なんて思うのは、
人間の勝手な感覚だというのはわかってるけど、
ひょっとしてうなぎは、
誰にもさわられたくなかったんじゃないか。
ひとりでいるために、誰とも交わらないために、
そのためには手足なんてなくてもいい。
そのためにカラダをヌルヌルにして、
ずっとひとりでいることを望んだ。
うなぎの思い。
じゃあ、人は何を思ってここにいるんだろう。
なんでこんなカタチなんだろう。
いろんなことを知りたいし、
いろんなことを聞きたいし、
誰にも交わりたくないし、
誰とでも交わりたい。
なんか中途半端な思いが募って募って募って、
そして何にもなれずに、ここにいるのかもしれない。
すべての生き物が、自分の思いで、
いつも何かになろうとしてるのだとすると、
すべては何かになろうとする途中なんだろう。
本当はすべてのもののもとはひとつで、
それが思いによってカタチを変えていく。
そう思った方が、なんか楽しくない?
まあ、あなたがどう思うか、なんて、
ボクにはどうでもいいけどね。
うさぎになりたくてうさぎになってないもの、
うなぎになりたくてうなぎになれてないもの、
そういうのを、さなぎという。変わる途中だから。
あ、いままで真剣に聞いて損した。みたいな顔、
やめてくれないかなあ。
ダーウィン佐藤さま
とてもよかったです。
うなぎはそっとしておいてやろうとおもいます。
ぼくは人より偉くなりたい、偉くなりたいという思いが強くて、鼻が大きくなったのかもしれません。
くさかさま
ホントですね。いろいろなりたくて、いろんなところがでかくなってますね~。