「帽子」
男が身ぎれいにするのは誰のためなのか。
取引先に失礼のないように。見た目も実力のうちだから。
それとも単なるナルシシズムか。
まあ、そんなことを考えている時点で負けだろう。
35歳独身男としては、女子社員にもてるため!と
爽やかに言い放つべきであろうが、
あれこれ考えてしまうのが僕である。
米田マリに声をかけられたのも、あれこれ考えている時だった。
土曜の午後の百貨店のメンズ館。35歳独身男の似合う場所。
僕は白のパナマ帽のようなものを試着してあれこれ考えすぎていた。
これはオシャレか?やりすぎか?そもそも似合っているのか?
「お似合いですね」振り返ると米田マリだった。
会社で斜め後ろに座っている。そのせいか、
振り返って彼女がそこにいるのはとても自然な気がした。
「先輩おしゃれですね」
僕はあわてて帽子を脱ぎ、オシャレな人というより、
オシャレ好きのオジサンに見えないか?と口走る。
米田マリはけらけら笑う。…話、弾んでいるではないか。
そして僕は慎重に慎重に、1人かどうか尋ねる。
そしてさりげなくさりげなく「どうだいメシでも」と言ってみる。
「いいですか。あなたがランチに誘って女子社員がついてくるのは、
あなたに好意を持っているからではありません!
単にあなたが上司だからです!」
社のセクハラ委員の声がよみがえる。
米田マリはあっさり食事に同意する。なぜなら僕が上司だから。
しかし、イタリアンでは会話は弾んだと確信する。
「あの帽子買わないんですか?」と米田マリは繰り返す。
素敵だったのに、と繰り返す。そうかなと僕は笑う。
会話とは助け合いである。
途切れそうになると、米田マリは素敵な帽子というボールを投げ、
僕は照れながらそれを受け取る。
「じゃ、明日」気持ちよく別れる僕たち。
帽子が取り持つ何とやら。
「週末、あの帽子買うの、付き合ってくれない?」
そんなセリフを胸に秘め3日経つ。会社で偶然2人になるのは難しい。
あれこれ考えすぎながら社員食堂でかつ丼を食べていたら、
目の前に米田マリがやってくる。偶然ではない。彼女の意志だ。
「先輩、ここいいですか」もちろんだ。
「これ見てくださいよ」写真を渡される。
米田マリの隣に、同世代の男子が立っており、その頭に…あの白い帽子。
「あの帽子ホントに気にいっちゃって、彼にプレゼントしちゃいました。
素敵でしょ?」
ああ確かに素敵だ。その時、社のセクハラ委員の声が頭に響く。
「いいですか。あなたが帽子をかぶって女子社員が似合うと言うのは、
あなたに好意があるからでも、似合っているからでもありません!
単にその帽子が素敵なだけです!」
ああ、セクハラ委員。あなたは正しい。
「先輩、あの帽子買いました?買うと、彼とおそろいになっちゃいますよ」
ああ、米田くん。追い打ちをかけないでくれ。
大丈夫、帽子は当分、買わないと思う。
出演者情報:大川泰樹 http://yasuki.seesaa.net/ 03-3478-3780 MMP